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ネガティブな体験が人を救うことになるとは、その時は知らない。

人間生きていれば嫌なことはある。
できたら経験したくないことを人生で体験してしまうこともある。
自分ではそうならないように努力してきたのに、どんな宿命や神の采配があるのか、避けられずにその出来事が起きてしまう。

その嫌な体験、苦しい体験、辛い体験の最中では、やはり苦しさを感じるわけで、とてもじゃないけど楽しんだり、楽観的に未来を見る!みたいなことができない。
そうした体験を自分自身の身をもって体験すると、もうこんなことはこれっきりにしておいてほしいよ、と思う。

ネガティブな体験が人生で起きなければいい、そうしたら楽しいことが自分の歩く道にはたくさんあって、ずっとそんな時間を過ごしていって幸せな人生になるだろうに、と考える。

しかし、実際のところ、平坦な道を歩いていって、何も人生で悪いことや苦しいことが起きなかったとしたら、そこには新たな発見や、新しい体験を通した気づき、味方の獲得ということがあまりない。波乱万丈な人生の中でそれでも生き生きとしている姿の人を見たら、嫉妬を感じるかもしれない。

物語の主人公が、何も冒険的な出来事もなく、旅にも出ずに、家で心地よい昼下がりの時間を過ごすだけの物語を自分が体験したいと思うか。あまりにも悲劇的な出来事を想像すると、ちょっと尻込みしてしまうところはあるかもしれないけれど、適度な刺激を伴う非日常感を感じられる体験だったらしてみたいということもある。

その一見すると嫌な体験たちは、物語の主人公を子供から大人にし、大人の中にある未成熟の部分を成熟させ、そして、今まで形作ってきたものを壊して自由にしてくれるものだったりもする。今までの自分の在り方ではどうしても乗り越えられなくて、大切なものを手放したり、自分というアイデンティティを一度手放して再構築するような体験は、感情の変化を伴うことがある。

この人生の嵐の中で体験し、乗り越えたり、やり過ごした経験は、後々の同じ体験をする人たちにとっての希望となることがある。あなたがその嵐を耐えて生き抜いて今目の前にいること、それ自体が希望や圧倒的な存在感となって、渦中にいる周りの人の目にうつる。もしその体験から、自分の中に確固とした人生の拠り所となる魂の糧のようなものが見出せたなら、それは人を助けることにも使うことができる。

体験して得たことはずっと消えずに自分の中に残る。
あなたの中に、一人ひとりの魂の記憶に刻まれて、失われることがない。
誰かが奪おうと思っても奪えないし、落として無くすこともない。
お金を得ることと単純比較することはできないけれども、もし一見ネガティブな体験をして、そこから世界を見る別な視点を得ることがきたら、その人の人生に豊かさが増えたということができるでしょう。


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