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給付金に関する論点整理

創価が今騒いでいるこの子供への給付金について、少し論点整理をしてみたい。

俺はMMT論者です

まず、俺の基本的な経済、財政的なスタンスとして、MMT論者であることを先に表明しておきたい。

MMTとはどんな考え方かと言うのを俺なりに述べると、

・自国通貨建て国債の場合、赤字国債を発行してもそれ自体による破綻は理論上しない
・国家が"必要な"公共事業を積極的に行うことで民間企業の受注を増やし、経済の起点を作る
・公共事業により国内に流れた資金は民間の所得となり経済規模が維持される
・適度にインフレを起こすことにより経済成長を促す
・バブルの調整や円と言う通貨の裏付けの為に徴税を行うが、それ等は所謂財源の主たるものではない

と言ったところかと思う。

となると、財政出動は経済利益を齎すものだから積極的にばら撒く創価のやり方に賛成するように思われるかも知れないが、実はそうではない。

MMT論者なら今回のバラマキは賛成か?

何故ならこのバラマキの意味、目的、効果と言うものがガッチリしておらず、思いつきの無駄遣いでしかないからだ。

積極財政派にも色々いはするだろうが、俺は意味のあることに、積極的に使えと主張する。そうすることで、本来財務省が担う責任と行使する責任の意義が発揮されるのだ。

銀行もそうだが、予算、金、資本、と言うのは人事と同じで極めて重要な思想の具現化を必要とする。

重要な人物や大きな予算をどこに割くか、それでその組織の考え方が分かると言っても過言では無い。

そう考えると、今回のバラマキの目的がどこにあるのか、それを考えることが重要なことだと分かるはずだ。

創価は結局票と信者を繋ぐ為に国政を濫用している

まず以て、金を配る必要性が何故あるのか。それは俺には全く理解できないが、恐らく「子供がコロナ禍で悲惨な目に遭っているから」なのだろう。

勿論、それ自体は事実だが、その対処方法としてバラマキをすると言うのがあまりにもデタラメなのは誰にも分かるだろう。

そもそも、

学校生活がまともに送れていない

と言う困りごとに対して、

「よし金をくれてやろう」

と言うのは、心底人間の、社会的人間の尊厳を毀損する態度だと言えるだろう。

一応彼等は仏教系の新興宗教団体だが、その道から最も遠いところに生きていると言わざるを得ない。

これでは釈迦も日蓮も牧口常三郎も戸田城聖も激おこプンプン丸だろう。

まあ、山口那津男は創価じゃないからどうでもいいのかな。

それよりも公約にしたことを選挙後だから自民を揺さぶってやらせたいのかな。

何れにせよ、動機が不純だからこんなことを言えるのだ。

問題の原因はどこだ?

コロナ禍以降、最早問題"しか"ないと言っても過言では無いが、それでもこの給付金問題の肝は、そもそも「子供の被害」にあるだろう。そしてその被害とは何かと言うと、全く必要性がない対策により、教育と言う面で大人が与えることを怠った経験、成長の機会の喪失にあると言えよう。また、子供と子育てにおける安心、安全と思える信頼の喪失とも言えよう。

これ等が子供を軸に見た場合の被害の主たるものだ。

であるならば、真っ先に行わねばならないのは、失った機会を与えること、安心、安全を取り戻すこと、この2つを行う以外にない。

そこで子供が実際に苦しんでいるものは何なのか、を確認するのは論理必然であり、

基本的にはコロナ被害、ワクチン被害、その他の自粛等に伴う被害の3つを見ることが最善だろう。

そしてそれ等が万一拮抗している場合は極めて難しい舵取りを迫られるが、現実は全く違う。

グラフ

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以前にもあげたが、子供が苦しんでいるのはコロナでは決してない。これはグラフを見れば一目瞭然だろう。

子供はこのコロナ禍における対策と称した虐待の結果として自殺したと思われる者の方がコロナやワクチンより遥かに多いのだ。

念の為に強調しておくが、

自殺はあくまで判明した数に過ぎず、それを上回っている可能性は十二分にある。

一方のコロナは、メディアが飯の種として目を皿のようにして探して、事故まで含めてのこの数字だし、

またワクチンも隠蔽の結果としてのこの数字であることは理解頂きたい。

新副反応発生と接種状況

つまり、問題と、それに対する解決策は、それぞれ過剰な対策であり、またその解除にあるのであり、それを何よりも最優先すべきなのは火を見るより明らかだと言うことだ。

ここで給付金をバラまくことが語る意味

しかし、政府与党はそうしないようだ。ただ金をバラまきたいようだ。

それがどんなメッセージになるのか、勿論国は明言はしないが、状況的に「こう言っているのに等しい」と言う状況にあるだろう。即ち、

根本的な問題の解決は先延ばしにするし、金を払うから文句も言わずに受け入れろ

と言うことだ。

そしてそれを受け入れるか否かで国民が分断されると言うことだ。

コロナ禍を終わらせる気があるとは思えない。

岸田には岸田の考えがあるのかも知らんが、今のところ不安しかなく、監視が必要だと考えている。

とは言え、基本的には創価のパフォーマンスにメディアが乗っかって騒いでいるだけのようにも見える。

金をバラまいても大丈夫な状況とは

では創価のクソさは分かったとして、バラマキは結局イケないことなのか。

勿論駄目なバラマキはある。と言うより今までやってきたバラマキは失敗ばかりだったし、バラマキ論者もアホが多い。

国民民主玉木や、れいわ山本がそれだ。

彼等の唱えるバラマキは、砂漠に水を撒くようなものなのだ。

どう言うことかと言うと、決して経済の自由な活動が行えない状況で、否、経済の自由を奪う為に、バラまいているからだ。これでは金を回すべきところに回らない。回すべきところとは、コロナ自粛による人災で経済的被害を受けたところだ。例えば観光、交通、宿泊、娯楽、飲食と言った業態だ。

ここに回さねばならないのに回らない状況下でバラまくのは、例えるなら止血せずに輸血するようなものだ。

出血が止まらないのにそれを放置して輸血するなんて馬鹿な話はない。

人命も救えず、血液も浪費しただけになるのは火を見るより明らかだ。

このような状況を批判しているのに、輸血反対派みたいに認識する馬鹿はいない、と信じたい。

では、玉木や山本みたいな馬鹿ではないバラマキとは何か。

それは所謂GoToキャンペーンがそれに当たるだろう。

目的が限定されており、他の用途に用いることが困難だし、困っている業界をピンポイントで支えることもでき、更には一部を国が負担することにより、国民の貯蓄を、何度でも色んな対象の業界に流すことができるからだ。

とは言えこの策も、やはり大前提が必要となる。

それは「旅行しても構わないと言う空気の醸成」だ。

これを作る為にキャンペーンを、と言うのはありだし、極論を言ってしまえば、空気が変わり、経済が復活するのならバラマキもいらない。

また子供への給付金をどうしてもと言うのなら、子供への割引を更に強化するのはありだろう。

彼等は修学旅行すら"オアズケ"された身だ。

彼等の学習機会を国として提供するのは財政的にも経済的にも教育的にも意味のあるものと言えよう。

少なくとも、創価の言う直接現金を配る下品で有害な策とは雲泥の差があると言おう。

創価は仏罰を受けろ。地獄に墜ちろ。

そうまとめている間に話は進んだようだ。

所得制限で子供にバラマキだと。

馬鹿しかこの国にはいないのか。


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