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かぐや姫と桃太郎、そしておにぎり

初めてアメリカへ行ったのは1975年の秋だった。

埼玉に住む旧知のダグラスにアメリカ行きを伝えた時、彼は、ぼくに強く言った…「ウィスコンシンにいるぼくの両親を訪ねてくれ。必ず、かならず…。日本人が来ればすごく喜ぶ。両親と会えば、ぼくが、なぜワシントン大学で日本文学を専攻し、そして、なぜ、今、こうして日本にいるか、その理由が分かる筈だ」後日、ダグラスの両親を訪ねたぼくは、その理由を痛いほど理解することとなった…

ロサンゼルスで中古のフォルクスワーゲンを安く手に入れたぼくは、大陸を横断し東海岸へ行く途中にウィスコンシンのダグラスの両親を訪ねようと計画した。

ロサンゼルスから北に向かい、シアトルから、アイダホ、モンタナ、ノースダコタを過ぎ、ミネソタ州に入った。ダグラスには「ミネソタのミネアポリスから両親に電話をしてくれ。君が訪ねる事は言っておく」と言われていた。

電話では、父親のハワードが、ぼくの声を聞いてとても喜んでいる様子が伝わってきた。「ミネアポリスの空港の到着ロビーで20分ほど待っててほしい」

空港ロビーで駐車場の方に向いて座り、地図を広げてアレッと思った。 とても20分で来れる距離じゃないんや。おかしいなあ?と首を傾げていると、ほどなくしてハワードは、なんとぼくの後ろから現れた。 初対面にも関わらずぼくを強く抱きしめる。「よく来て来れたね。とても嬉しい。さあ行こう。女房のエヴァが待ってるよ」 だけど、駐車場には向かわず滑走路の方に行く。えっ? なんで?

びっくりした。なんと、彼は、自家用セスナ機でぼくを迎えに来たんや。空港を飛び立ち10分ちょっとで芝生の滑走路に降りた。家を見て驚いた。映画「風と共に去りぬ」に出てくるような大きな屋敷なのよ。グラハムは広大な農場の主で、セスナは農薬散布などに必要な機材だとはあとで知った。

玄関ホールに、日本の大きな衝立てがあったのには驚いた。尾形光琳だろうか、カキツバタの絵柄の複製のようだ。迎えてくれたメイドさんが、30畳ほどの広さの立派なリビングに案内してくれた途端、さらにぼくは目を見張った。

暖炉の上の棚に、大きなガラスケースに入った日本人形の藤娘があり、その横にやはりガラスケースに入った「桃太郎」の人形、さらに、その上の壁には、銀メッキの金属で出来た「道」「愛」「平和」「海」「山」「河」「風」「日本」など、多くの漢字が飾ってある。さらにそれらの漢字の間を縫うようにして大きな舞い扇が三つ… すぐ理解した。

ダグラスの両親は日本が大好きなんやな。 ダグラスのお母さんエヴァが現れた。 彼女はひとことの挨拶もなくニコニコと近寄ってきて、ぼくを強く抱きしめた。 そしてぼくの顔をじっと見つめながらやっと口を開いた。「イラッシャイマセ…」 日本語や! びっくりした。

「この家に日本人が来るのは初めて。わたしにとって日本や日本人は特別なのよ」そしてもう一度強いハグ。よく見ると彼女の目が潤んでる。えっ、なんでー?その理由はあとで痛いほど理解することになる…

ダイニングルームの壁にも、日本の大きな舞い扇のコレクションがいくつか飾ってあり、飾り棚には、こけしのコレクションと共に、額に入れたかぐや姫のコラージュもあった。二人のメイドさんが準備してくれたその日のディナーは、貧乏旅行の僕には目を見張るものだった。七面鳥のロースト、ミネストローネ風のスープに大きなビーフステーキ、大きな楕円形のお皿にたっぷり盛られた自家農園で採れた野菜の数々に、焼きたての芳ばしいパン…エヴァ自身が僕の前に置いた重そうな鍋の蓋をとると、なんと御飯やないか!アメリカに来て以来、初めての、しかもホカホカの御飯や。いやあ、もう驚いた。

ハワードやメイドさんたちもテーブルに着いた。「さあ、乾杯しよう」ハワードが、シャンペンの栓を抜いた。「日本からのスペシャルゲストにカンパイ!」ウィスコンシンの田舎で日本語のカンパイ!…嬉しかったなあ。アメリカの田舎で、予期せぬ、まさかの大歓迎。なんでぼくをこんなに歓迎してくれるんだろう?

二階にあるエヴァとハワード専用のリビングルームの暖炉の前、いかにも古そうなロッキングチェアに座ったぼくとエヴァに、ハワードはバーボンウィスキーをたっぷり注いでくれた。そして、エヴァは、暖炉に薪をくべながら、遠い日を懐かしむようにゆっくり語り出した…その話にぼくは深く引き込まれてしまった…

…わたしたちが結婚したのは戦争が終わってすぐでした。ハイスクール時代から、新婚旅行は日本と決めていたので、戦争が終わった時は本当に嬉しかった。

小さい時から童話や民話が大好きだったわたしは、童話作家になりたかったので、世界中の童話や民話を読んだのよ。でも、わたしを一番惹きつけたのは日本の童話だった。特に強く惹かれたのが「かぐや姫」と「桃太郎」…爺さんが竹を割ったら出てきたのがかぐや姫、婆さんが川で拾った桃から出てきたのが桃太郎…こんな素敵なファンタジー、世界のどこにもない。もう、興奮してしまって、毎日まいにち、かぐや姫と桃太郎ばかり読んでたの…

そしてハイスクールに行くようになった時、とうとう、かぐや姫と桃太郎が一緒に登場するストーリーを作ってしまった。月に帰ることになったかぐや姫は、お共に、桃太郎とウサギを連れて行くのよ。なぜウサギにしたかと言うとね、日本では、お月さんでウサギがお餅をつくってるのが見えるって言う話を本で知ったからなのよ。わたしは、新婚旅行で日本に行くまで、お餅は食べたことがなかったけど。

新婚旅行は日本の田舎と決めていたけど、ハワードが賛成してくれたのはとても嬉しかった。そして、戦争が終わった年の暮に、岡山の田舎、吹屋へ行った。吹屋はかなりの田舎。狭い街道沿いにある醤油の蔵を改造した素朴な旅館を訪れたわたしは、これこそわたしが憧れた日本だと、かなり興奮したわ。でもね、戦争に負けた日本がとても貧しく、食べ物も充分とは言えない実情を知り、とても複雑な気分になった。

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Photo by zekkeijapan.com

戦争に勝った国から訪れたわたしたちを、日本人は受け入れてくれるのかしらと、とても不安だったけど、吹屋の方々全員がわたしたちを歓迎してくれてる様子がわかり、そんな不安はすぐ吹き飛んでしまった。わたしが歩いていると、街のこどもたちが付いてくるの。わたしが、かがんで子供たちの手をとると、黒い髪の毛のこどもたちが、ブロンドのわたしの髪の毛を、不思議そうな顔をして撫でるのよ。

戦争に負けた国の食糧難は、わたしたちも気づいていたけど、旅館の方はもちろん、吹屋の方々が、毎日のようにわたし達に食べ物を持ってきてくれた。そのほとんどが生まれて初めて食べるものだった。
お正月を日本の田舎で迎えたわたしが嬉しかったのはお餅。持ってきてくれた村のおばあさんに、ウサギがお月さんで餅をついている絵を書いて見せたら手を叩いて喜んでくれた。ウサギがお月さんでお餅をつくって本当だったのね。

憧れの日本の素朴な田舎でとてもハッピーだったけど、5日目に、山歩きしたあと、突然倒れてしまった。かなりの高熱が出て動けなくなってしまった。布団でウンウンうなされていたわたしが驚いたのは、村の人たちが、朝も昼も夜も交代で看病してくれたこと。この時の村の人たちの、親切をはるかに超えた行為、わたしは一生忘れないでしょう。

ふと気がつくと、暖炉の前でハンカチを握りしめていたのエヴァの目は、かなり潤んでいた。

…三日目にようやく熱が下がり、起き上がれるようになったわたしに、村の人が「おにぎり」を持ってきてくれた。戦争は終わったけど、まだまだ食糧難の時に、貴重なお米をおにぎりにして持ってきてくれたんです。そのおにぎりに巻いてある黒いものはなんだろうと、それを指差すと、村の人は「ノリ!ノリ!」と言います。それが、海藻を乾燥させて作ったものだとは、アメリカに帰ってから知りました。
そのノリを巻いたおにぎりの美味しかったこと。村人が交代で持ってきてくれた「おにぎり」が私を生き返らせたと今でも信じています。あの味は一生忘れません…そうか…かぐや姫と桃太郎に感動したエヴァは、日本のおにぎりにも感動したんや…

ぼくに語るべきことを語ったエヴァは、頬を伝わるものをハンカチで拭った。エヴァの肩に、ハワードは後ろからそっと優しく手を置いた。

そんなエヴァを前にして、ぼくは語るべき言葉がなかった。

戦争が終わったあとの日本の田舎で、こんなストーリーがあったことを知ったぼくは胸がつまったんです。

そして、一週間お世話になったぼくは、去りがたい気持ちを抑えて彼らの元を去った。

エヴァは、ぼくにお弁当を持たせてくれた。

車で東に向かったぼくは、ハワードに言われた通り、ミシガン湖の湖畔にある芝生の公園で、エヴァのお弁当を広げた。

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てっきりサンドイッチだと思っていたその包みを開けた瞬間、どっと涙が溢れた。形がそれぞれ違う不恰好なおにぎりが三つ。なんと海苔が巻いてある。どこで手に入れたんだろう?

涙の塩味で、そのおにぎりを食べました…

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