見出し画像

ホースの水(エッセイ)

喫茶店から若者たちがまぶしそうな目をしながら出てくる。
ダッダッダッダ ダッダッダッダ
キーン ピュウ キーン キーン ピュウ
喫茶店内から響くインベーダーゲームの機械音が脳を刺激した。
隣を歩く高校のバレー部の3年の先輩がマジソンバッグを持ち替えた。
「わかっていると思うけど、バレー部はインベーダーゲーム禁止だからな」
「はい」
2年生のぼくは尊敬するこの先輩の言うことは何でも聞いていた。
夏休みの強化練習を終え、喫茶店の向かいにあるミニスーパーのベンチで牛乳を飲み干し、ぼくたち2人は地下鉄の駅に向かおうとしていた。
「牛乳、うまかったな。ところで炭酸は飲んでないだろうな。ありゃあ、身体によくない」
ぼくがバレー部に入部したときから先輩に口を酸っぱくして言われたことだ。
「はい、炭酸は骨が溶けるって言われてから、まったく飲んでません」
ぼくは先輩にススメられた牛乳を毎日飲んだ。
「おう、そうか。それよりおまえ、最近上手くなったな。とくにサーブカットは」
「そうですか?」
ぼくは返事とは逆にまんざらでもない気分だった。
2年生になり、この夏、ぼくはバレー部のスタメンチームで練習するようになった。
先輩が言うように、自分でもサーブカットに自信を持てるようになってきた。
ぼくたち2人は乗換駅で先輩が下車するまで一緒に帰った。
先輩と別れたあと、地下鉄の中で、ぼくは明日の練習のことばかりが頭に浮かんできた。

家に着くと、赤マジックの殴り書きが目に飛び込んできた。
テーブルに置かれたチラシの裏に書かれたそのメモで、父が入院したことを知った。
左官屋をしている父が建築現場から落ちたらしい。

ぼくは翌日、強化練の練習着を持って病院へ向かった。
そこには母のほか、父と一緒に現場で働いている叔父がすでに見舞いに来ていた。
幸い、父は手足を骨折しただけで済んだ。
叔父は肩にかけたぼくのカバンを見つける。
「遊んでる場合じゃねえべ。おやじの代わりに誰が稼ぐのっしゃ? おまえしかねえべ」
ぼくは何も返せなかった。
ウチがほかの家庭より貧しいのはわかっていた。部活後に飲む牛乳代も、土曜のそろばん塾の助手のアルバイトをして賄っていた。そのため、土曜の練習だけはみんなより早く切り上げさせてもらっていた。しかし、ぼくはそれが歯がゆかった。部活のみんなと同じ練習を耐えてこそ試合で一丸となり感動がわくはずだから・・・
「おまえが兄貴を助ける番でねぇか。球ころがして遊んでる場合じゃねえべ。明日から現場に来い。また俺と働くべ」
夏休みに入り、新潟でのバレー合宿費を稼ぐため、ぼくは強化練習の数日前まで土曜のアルバイトのほかに父と叔父が働く神奈川の高校の校舎改築の現場でアルバイトもしていた。
セメントをネコ(一輪車)で運び、そのネコを建築中の校舎の3階へウインチで運び上げる作業をしていた。最初の頃、ネコをぶちまけたことが1回あったが、慣れてからはなんとかぶちまけずに済んでいた。ぼくはバレーの練習よりキツい仕事なんてないと思っていた。
しかし、叔父は怖かった。
父以上に、ぼくを左官屋にしたいようだ。
ぼくはこの日の強化練習を休んだ。土曜の早退を除くとバレー部に入部してからはじめてだった。
父の入院は長引きそうだった。
ぼくはバレー部を辞めて、現場で働くしかないかと、半ばあきらめていた。

翌日、先輩に相談しに行こうと思った。夕方、強化練習の終わったあたりに先輩と必ず寄って牛乳を飲むミニスーパーへ向かう。
尊敬している先輩に相談すれば、バレー部退部を反対してくれるはずだ。
なにか解決策を与えてくれるかもしれないと一縷の望みを胸に抱いた。
地下鉄の駅を降り、すぐ角を曲がる。商店街の人混みのずっと向こうにミニスーパーが見える。歩くと、その前のベンチに先輩がひとり座っているのが見えた。
手には牛乳を・・・持っていなかった。
ぼくは目を疑い、歩きを止めた。先輩が手にしていたのはオレンジ色したチェリオ(炭酸飲料)の瓶だった。それを片手に先輩はごくごく飲んでいる。
ぼくは人混みに隠れながら、先輩に駆け寄ろうかどうか迷った。
先輩はチェリオを飲み干し、空びんをベンチ横のケースに入れた。マジソンバッグを持って立ち上がった先輩は、きょろきょろしながら向かいの喫茶店に入っていった。
ぼくはもう追いかけなかった。

翌日、ぼくは叔父と一緒に神奈川の高校の現場で働いた。
ピンポーン パンポーン!
夕方5時の学校のチャイムが鳴った。
職人たちが仕事を終え改築校舎から出てくる。
ぼくはホースを持ち、ネコを一台一台水洗いしはじめる。
バコーン! キュッキュッ! バコーン!
改築校舎のとなりの体育館から、それまで聞こえなかったボールとシューズの音がした。
バレー部らしき高校生たちの笑い声も聞こえる。
ドアを全開にした体育館の中を見ると、壁沿いにマジソンバッグが並んでいた。
目を落とすと、ホースから水が勢いよく流れ続けていた。


#部活の思い出
#エッセイ #コラム #umaveg #バレー部 #先輩 #建築現場 #インベーダーゲーム #炭酸飲料 #体育館 #マジソンバッグ

この記事が参加している募集

部活の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?