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フランスで移民講座に参加-すれ違うことの無かった人々

Formation civiqueと言う、フランスの
移民講座、2日目に参加してきました。
配偶者ビザをこの度取得し、フランスで
生活を始めた私の出席は必須なのです。

この講義の対象である、移民と言う枠組み
の中で、フランス人と結婚して配偶者ビザを
取得した日本人女性と言うのはそうとうな、
マイノリティなのでしょう。
1日目の講座では15名の出席者のうち、
女性は私が一人で、残りはアフリカや中東系
の男性でした。中でもこの日はアフガニスタン
の通訳が入り、参加者のうち10名が
アフガニスタン人でした。講師には、日本人
珍しいわねー!って言われました。
休憩中も私に気軽に話しかけて来るような
人は誰もいません。

2日目の今日もほとんど同じメンバーだけど、
1人だけ新メンバーのアフガニスタン女性が
いました。エッフェル塔の模様にParisと
書かれた大きなスカーフで頭髪と耳もとを
すっぽりと覆っていました。

初日はランチにサンドイッチが用意されていた
のに、今回は無かったので、参加者は徒歩5分
くらいのスーパーに買いに行きました。

私は前の席にいたインド人の男性と一緒に話し
ながらスーパーに向かいました。サンドイッチを
買った後は、講習をしているうす暗い建物では
なく、近くの花がたくさん咲いている小さな
広場のベンチで、二人でお昼を食べました。

いろいろ質問しました。
どうしてフランスに来たの?仕事のため。
どうしてフランスだったの?本当はイギリスに
行きたかったけど、ビザが難しくてまずフランス
に来たの。だけどこの後もフランスで働こうと
思っている。あと4年働けば、家族を呼び寄せ
れるビザになるし。6年前にフランスに
来るまでは、Bonjourという言葉すら知ら
なかったんだ。え?Bonjourすら知らずに
フランス来たの?うん。
フランスでは建築現場で働いてるそうです。
家族には会いたいけど、インドに帰りたいとは
思わない。

へー、、、、、

そして私は今までにどんな国に行ったことが
あるのか彼から聞かれました。なんだか、
出張や旅行でいろんな国に言ってると言う
話をするのを躊躇ってしまい、2カ国ぐらい
だけ言ってやめておきました。

その後は教室に早めに戻ったメンバーと、
アフガニスタン人の通訳の学生と少し
おしゃべりしました。
アフガニスタンの学生は、アフガニスタンの言語
(パシュート語)と、ヒンドゥー語もわかるから
たまにインド人のことを助けてあげてました。
英語も上手でした。スウェーデンにも3年住んで
いたとかで、スウェーデン語もわかるとの
ことです。優秀ですね。
今は薬学科の学生とのことです。

午後の授業が始まり、フランス国籍取得しよう
としている人?と講師が質問しました。
私以外、全員が手を上げました。
私は、日本は2重国籍認められていないし、
日本のパスポートで不便は無いし、と話すと
2重国籍を認められていないという
ことに、結構いろんな人がびっくりしてました。

その後、どうしてフランス国籍が欲しいのか、
私以外に講師は聞いて回りました。
セネガル人の二人は、自分は難民だから
フランス国籍取得してフランスで暮らしたい、と。
アフガニスタン人の多くは、アフガニスタンは紛争
があるから、フランスで暮らしたいと。

フランスの標語である、自由、平等、博愛について
の講義の時、あらゆる自由について講師が説明
しました。その自由の中には2013年にフランス
で認められた同性婚についても含まれていました。
講師がまた何人かにこの自由についてどう思うか
質問し、アフガニスタン人の女性にも通訳を通じて
質問していました。
その女性は、この自由について快く思わない。
なぜなら女性は男性と結婚するべきだから、
と答えました。

その後は、前回に引き続き、政教分離の原則
について、またじっくり時間をかけて説明します。
すべての宗教は平等である。また、宗教は個人的
なものであって、公の場で語られるものではない、
どんな宗教を信じていようが、それによって
個人を判断するものではない
ということを講師が説明します。
宗教により生活のあらゆることが決められている
国から来ている人々は、どう感じるのか?
ナイキのTシャツを着たアフガニスタン人の
男性が、Laïcité (政教分離)が好きです、と
ぎこちないフランス語で答えました。

アフガニスタン。
家に戻ってWikipediaやいくつかの記事で
アフガニスタンについて少し調べてみました。
もちろん911やタリバーンや戦争などについては
多少知ってますが、でもよくわからない。
アメリカのドラマHome Land大好きで全部
見たけど、アフガニスタンやタリバーンについては
難しすぎてドラマ見ながらも全然関係性を
理解できませんでした。

近年のアフガニスタンは、本当にずーーーっと
紛争してるんですね。1978年にクーデター
が起こってから89年まではソ連から、
ソ連軍撤退してからは内示紛争、2001年からは
誰もが知っている911が引き金となりアメリカから
の軍事侵攻。
女性の扱いも驚くほど悪い。性被害にあった
女性への迫害やその親族による名誉殺人、
幼い女の子の幼児婚など。
鼻をそぎ落とされたアフガニスタン人の
女性の写真を見たことがある人は多いのでは
ないかと思います。

今日参加していたアフガニスタンの女性は、
受付の時に小さな子どもを2人連れてました。
講義が始まる時には旦那さんが連れて帰った
けれども。
頭部をスカーフで覆って、フランス語も話さず
フランスにやってきて、アフガニスタンの常識
を抜けきれないまま、自由、平等、博愛の
意味をどのくらい理解することが出来たのか?
宗教上の理由から彼女がかぶっている
スカーフには、エッフェル塔とParisの文字がプリント
されてます。移民が売っているパリのお土産品。
それが彼女の精一杯のフランスへの順応だと
したら、悲しすぎる。
自由、平等、博愛を感じる人生をフランスで
送れるといいな、少なくともあの子どもたち
は自由な思想を持ち平等な機会が与えられる
といいな、などと考えましたが、それはただの
綺麗事でしょう。現実はただ単に彼らの文化や
宗教観から抜けきれずに生活する移民がフランス
に一家族、増えただけかもしれません。

今日私は、移民の立場で彼らと肩を並べ、
彼らの側で一緒に講義を聞いていたわけですが、
一緒にお花を見ながらランチを食べたインド人
もこのアフガニスタン人たちも、自分たちは
難民だからフランス国籍が欲しいと言っていた
セネガル人たちも、私の人生の中ですれ違う
ことも無かった人々です。
ちょっとだけすれ違った今日という日は、
なかなか面白い、忘れ難い日なのでした。


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