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【三国志を語りたい】皇甫嵩と董卓 Vol.2

前回は皇甫嵩と董卓のエピソードを記載しましたが、皇甫嵩と董卓は将としての差は皇甫嵩に軍配が上がっているようですね。

それに皇甫嵩は精錬潔白の人のようで、王朝に忠義を尽くし、王朝のために一心に自分の仕事を淡々と行っている印象があります。

しかし、彼は歴史の渦に呑まれ、その名は後世に響くことはありませんでした。

なぜか?

その解は黒の梟雄、董卓の生き方にあると思われます。

董卓がまず何をやっていたか、それは私兵化です。
この時代は、言ってしまえば、皇甫嵩や董卓は公務員であり、王朝という中央省庁の人事でそれぞれの郡を管理することになっています。

皇甫嵩や董卓の元にいる兵は、王朝のものであり、人事異動が言い渡されれば、兵はその郡にとどまり、長たる皇甫嵩や董卓が異動して、新たな郡に着任するといった感じです。

しかし、董卓は色々理由をつけて西涼から出ようとしません。
「自分がいないと西方の部族を抑えられません!」
とか、色々言ったのでしょう。。。

董卓は元より王朝の腐敗を知っていたので、王朝への忠義はなかったと見られます。
この時代は王朝への忠義よりもどうやって生き残るかが重要で、官位など全く無意味になっていたと見られます。

董卓はそういった時代の流れを読むのに敏感だったと思われます。

そうしてたどり着いた選択肢が私兵化で、長年西涼に止まることで、実質その郡の支配者のように振る舞い、力が強大になっていきます。


一方、皇甫嵩は先述のとおり、清廉潔白な人です。
例え王朝が腐っていても忠義は絶対なのです。

それは例え、董卓が相国となって王朝を実質支配することになっても変わらないものでした。
それが彼の運命を決めたのだと思います。

宮城谷三国志に皇甫嵩と董卓の最後のエピソードが記載されています。

皇甫嵩は相国となった董卓によって中央に呼び付けられ、無実の罪で処刑を言い渡されますが、嘆願により恩赦されます。

その後、皇甫嵩は中央の官職(議郎)に戻され、皇帝と共に長安へ移動します。
相国となった董卓が長安に入った時に董卓は、一定身分以下の者に拝礼を行わせます。
その中には皇甫嵩もいました。
1人だけ頭を下げない皇甫嵩に董卓は

「義真(皇甫嵩の字)」

と呼びかけて拝礼を促します。

皇甫嵩は気づいて、笑いながら深々と頭を下げました。

そして、董卓は皇甫嵩の前を歩いていくのでした。




なんというか納得のいかない終わりですね。
国のために懸命に働いた皇甫嵩に待っていた虚しさと時代の残酷さを告げる終わりに思います。

所詮、世渡りが上手な者が時代に名を残すとはわかっていますが、それでも
私は皇甫嵩の生き方が好きです!



淡々と仕事をして、忠義を尽くす、そんな彼の名をせめて覚えていただければということで3部に分けて記載させていただきました。

次回投稿は未定ですが、個人的に書きたいのは、何進、徐栄、孫堅、董卓といった人たちを書いていきたいと思っております。


なぜ、こんなに面白いのか?読めばわかる。

三国志
宮城谷昌光
文集文庫

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