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理解するのに1年かかったカナダ人の恋愛観と、「付き合う」ことを根本的に考え直した話

こんにちは。うめ組ランジェリーです。

前回も少し触れましたが、「外国人との恋愛」。憧れがある人もいると思います。ワーホリで来る前、私も興味はあったし、もしバンクーバーですてきな出会いがあったらいいなとも思っていました。

今回書くのは、カナダでの恋愛について。恋愛観って人によって本当にさまざまだと思うので、理解されない部分もあると思いますが、私がいま正直に思うことを書いてみます。

まずはじめにお伝えしておくと、私はカナダで彼氏はできませんでした。なのでこの記事でお伝えするのは、カナダ人の彼氏をゲットする方法でも、出会い方指南でもありません。でも私にとっては、それ以上に意味のあることでした。

一つは、カナダ人と日本人との間での「付き合う」の概念にギャップを感じたこと。

もう一つは、世間一般的には"こじらせアラサー"であろう私が、「付き合う」ことについて考え直したことです。

「付き合う」のコンセプト

突然ですが、「付き合う」って、どんなことだと思いますか?

・手をつないだり、キスやセックスをすること?
・週に一度は時間をつくって会うこと?
・結婚を視野にいれて相手と向き合うこと?
・他の男性(女性)と関係を持たないという約束?

違う、もっと心のつながりのことだ、という声が今にも聞こえてきそうです。例えば、

・家族のように、あるいは家族以上に大切にし合う存在
・常にサポートし合う関係

私もこのようなコンセプトに賛成したい。だけど、いざ言葉にしてみたとき、過去数年間で付き合っていた相手とどこまでの関係性を築けていたのかというと、、。正直なところ、前者の意味合いの方が強くなってしまった気がする。

そもそも、付き合うことに対してそこまで構えていなかった。お互いに好きだから付き合ってみる。うまく行くかどうかは付き合ってから次第、というスタンスだった。だけどカナダに来てから、その考え方を考え直すことになった。

カナダ人男性にとっての「付き合う」は、私が考えていた以上に、彼らの人生においてもっと大きなものであるらしい、ということに気がついたから。そして、それは素敵だなと思ったし、「付き合う」ってもっと大事なことで、もっと安心できるものだったのかもしれない、と思うようになった。

デーティング(Dating)と真剣交際(Serious relationship)の違い

海外の恋愛に興味がある人なら聞いたことがある人も多いと思いますが、カナダでも男女が付き合う前の「デーティング(Dating)」という段階があります。付き合う前のお試し期間、みたいに言われることも多いですが、デートしている(身体的な関係を含むこともある)けれどまだ真剣に交際している訳ではない、と言う何とも中途半端な関係性です。

日本だと、あまり聞かないですよね。というか、日本だと「身体の関係はあるのに彼氏(彼女)ではない」なんて言ったら、ただのセフレじゃん、とほぼ間違いなく言われる気がします。

だけど、どちらかというとDatingはセックスフレンドのような割り切った関係ではなく、その人と付き合ってみても良いかどうかを互いに考えている期間だと思います。ただこれは相手にもよると思う。間違った相手を選ぶと、ただのセフレ(ちなみに英語ではfriends with benefitといいます)になってしまう可能性は大アリです。相手の見極めが大事。それともちろん、ちゃんと告白をしてから始まる恋愛もあります。

そして、デーティングと真剣交際の間にあるギャップが大きい。

なぜそんなに慎重なんだ?好きなら付き合ってみたら良いのに、むしろ付き合ってみなければ結局何も分からない、と以前の私の感覚では思っていました。

だけど、彼らにとって真剣に付き合う、というのはどうやらそんな簡単なことではないらしい、と気がついた。

「付き合う(Serious Relationship)」のコンセプト

年齢にもよると思います。周りでも、学生や、20代半ばぐらいの人たちはもっと気軽に付き合って、別れているように感じました。日本と同じような感じ。

ですが30〜40歳ぐらいの年齢にいるカナダの男性は、皆わりと落ち着いていて、自分の人生の責任をとる覚悟のようなものを持っている。正直、日本と比べてただ「女遊び」をしているような人にはほぼ出会わなかったです。
(皆が皆そうではないと思いますが、あくまで私が知り合った人について。年齢が全てでもないと思います。例えば海外だと、社会人になったあと学校に通い直すとかそういうキャリアも珍しくはないし、個々人の状況によって異なるものだと思います)

そういう大人の男性たちに、「付き合う」ことをどう考えてみるか聞いてみると、必ず返ってくるのは「commitment」、そして「give all of myself to her」といったなかなか強いワード。プラス、少なくとも2,3年以上の「Long-term relationship」であることだ、という。

正直はじめに聞いたときは、「え?Give everything?いやいやそこまでは求めてないけど」と思った。英語と日本語の違いもあるとは思うけれど、それでも寝耳に水というか、私はそんなふうに考えたことがなかった。なぜなら私にとって、大人になってからの付き合うとは、お互い忙しい日常の中でバランスを保ちながら良い関係性を築いていくこと、のように無意識に思い込んでいたから。

痛みを伴ったカナダ人との恋愛

書くことをとても躊躇したけれど、やっぱり個人的な経験にも少しは触れざるを得ない。

カナダ人の男性を好きになってしまったことがある。愛していたかと言われると正直Yesとは言えない。異性として魅力を感じる、プラス尊敬している程度だったと思う。

だけど、その相手の彼女になれないということが私にとってはまったくもって不可解だった。

相手も私のことが間違いなく好きだという。けれどSerious relationshipは持てないという。そういうことに関する議論を何度もして、混乱したし、傷つきもした。セックスフレンドになりたいということかというと違うというし、他の女性ともデートがしたいからかというとそれも違うという。では「付き合う」という状態と何が違うというのかと、ちょっとムキにもなった。

だけど相手にとっては、「好きだからとりあえず付き合ってみる」ということはしない、というか、できないのだ、ということを1年かけて理解した。

相手にとってのパートナーにはなれなかったし、愛してはもらえなかった、という痛みは伴った。だけど、それは私のせいではないし、何より相手の選択だということ。互いの置かれている状況を考えると、ある意味当然かもしれない。

それでも相手が自分のためにどれだけ誠実であろうとしてくれているか、見返りを求めない親切、できる限りのサポートをしてくれていることも十分に感じた。(一緒にバイク旅行をした友人とは別人です。読んでる方にとってはどうでも良いことだと思うけれど、どうしても言っておきたかった笑)

この彼のこと以外にも、さまざまなカナダでのできごとを通して、日本でいわゆる「こじらせアラサー*」と言われてしまう存在(*主にオーバー30で結婚予定もなく、過去に恋愛経験がそこそこある女性のことを指す言葉と認識している)だった私自身が、「付き合う」ということに対してあらためて考え直した。そしてそれは、すごく大事な気づきだったとも思う。

付き合うということは、自分の選択である

日本では割と気軽に付き合っていた。なぜなら、付き合ってみなければ何も分からない、と思っていたから。もちろん誰でも良いわけではなく、信用できる人であり、好きであるというのは大前提ではあるけれど、付き合うといいうこと自体をそこまで真剣に考えたことはなかった。

だけど、カナダで過ごした1年間を通して、私自身が今後「付き合うこと」に何を求めるのかを嫌というほど考えさせられた。

アラサーになると、周りも「婚活」モードになるし、誰もが口を揃えて「探すなら早い方が良い」「今日がいちばん若いんだから」とアドバイスをくれる。それは私のことを思ってのアドバイスであったと思うし、時にはそういう波に乗ってみるのも悪くないけれど、カナダに来る前の私は、どこか腹落ちしていない部分もあった。何で焦らなきゃいけないんだろう、何のために付き合うんだろう、とか。

だけど今は、「人生のパートナーが欲しい」と心から思えるようになった。

それを婚活と呼ぶかどうかは人によると思うけれど、私は「婚活」という言葉よりも「パートナー探し」という方がしっくりきている。

パートナーには、自分の持ち得る限りの愛情をあげても良いと思える相手であること(*自分のことを犠牲にしてすべてを捧げるという意味ではない)。相手にとっても、自分がそういう存在であること。

そのためには少なからず、今後描いている人生(どこに住むかとか、そういうことも含めて)や、持っている基本的な価値観(誠実さなどに対する考え方と、その重み)がマッチする必要がある。

そういう相手と出会って、ともに人生を歩んでいけたらどんなに楽しいことだろうと思う。それは、結婚とかそういう概念以上にもっとワクワクするものでもあると思います。

ありがとうございます。下着作りに活用させていただきます🎀✨