ショート)左目だけが泣いている

真夏に咲き乱れた百日紅が
こんなに短い期間で葉を落とす

ランダムに流れるイヤホンからのピアノ曲
「ベートーヴェンだっけな」
心が死んだあたしへの鎮魂歌に聴こえる

先月までの酷暑も、例年にない肌寒い秋も
耳に流れる“月光”も、落葉する百日紅も
全てがあたし、御用達

夏にうけた熱いほどの体温は、今はもうない

「人に気づかれたら終わり」
簡単なルールと味わったことのない情交
ただ、相手を貪るだけ
絡み合うだけの禁じられた恋は
こんなに美味しいものとは思わなかった

「だから、隠れて食べるんだな」

簡単なルールと理性がどこまで利くか
仕事をしていても「欲しい」と身体が覚えた本能
喉から出てくる熱い息の玉は
淫らな声に聞こえ、顔を赤らめた


「全部終わった」肌寒い朝の通勤時間帯
信号待ちする私に見えた、あの人に似た男
頬を伝う水滴に気づき

左目だけが泣いている
指で拭ったときに、人差し指の指紋が
浮いて見えた

理性で食い止めるから、左目だけの涙

「悪いこと、酷いことしてるの、分かってた
でも周りが絶対
気づかないようにやればいいやって思ってた
あたし、淋しいだけの人生に耐えられない」

トートバッグから覗くレジュメに目を落とし



次の恋は
ページをめくるたびに薄皮が剥がれて
いくようではなくて
イグルーのなかにふたりだけでいる
ものがたりが良いなと思う


不織布マスクに溜まる左目の涙と、震える唇

次の恋は
自分の焦がれる想いの熱さ
のなかではなくて
互いをあたため合う心地よさに
身を寄せていたい

信号が変わった、あたしは変わるしかない

思うままに飛び込んで、
思うままに両目で泣けるような
恋を次はしようと決めて、歩き出す

前を見据えて、しっかりと


#1分マガジン (文字数オーバー)

・:*+.りようさん.:+
いつも拝借してます
ありがとうございます

・:*+.小牧幸助さん.:+
再びよろしくお願いいたします
ありがとうございます