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カキツバタ

アヤメ、菖蒲、カキツバタ


数日前にふと気になった。

長野の実家の池のほとりに咲いてる「この花」は
アヤメだろうか菖蒲だろうかカキツバタだろうか…
たしか母はアヤメと言っていたような…

アヤメは網の目のような模様があり陸地に咲く

カキツバタは模様が白、水中、水辺に咲く

菖蒲は模様が黄色水陸地と水辺と中間

なのだそう…意外と簡単に見分けられる。


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「アルペジオ」と「カキツバタ」という曲のコピーを歌っている
オザケンの動画をはじめてみた。

時々、無性に「オザケン」が聞きたくなる。

むかしむかしに感じた思い出の塊

普段はどこかに隠れているのだけど
そのころとよく似た香りとか、風の感じとか、風景とか、
なにげなくふわりと
その塊に触れてしまうことがある。

すると、その塊が、うずきだす。鈍く、ずきずきと。

なんとなく、泣きたい気持ちになる。

そんな時に聞きたくなる。


アルペジオは…


もうずいぶん昔のこと、交通事故が原因で作家生命を絶たれた
漫画家の岡崎京子さんとの友情のことを歌っている

オザケンと岡崎さんとの関係が

記憶の中で

ぼくときみ

わたしとあなた

感じた

何かに
ふっとふれるから

ぜんぜん自分のことじゃないのに
自分のことみたいに思える

オザワ君の見た風景が
なんだか自分が見た風景みたいに思えてくる。



きっと 魔法の
トンネルの先
君と僕の
心を愛す
ひとがいる
汚れた川は
再生の海へと
届く


カキツバタは…


はじめて聞いた曲だった。

父と、自分と、子供と
親子三代

パパであるオザケン
いまだにちょっと違和感があるけど…

わたしもハハである
ここはかなり…ハハ=自分になってしまった。


街は息づく 街は生き抜く
どんなに苦しい坂にも 終わりがある
時を待つカキツバタのように

幸せが来る 足音がする
そう信じることが花言葉なんだと
父が言った 昔を想う

雨上がりに 陽が射す空に
どんな高い山でも登れるよと
誓う そう カキツバタのように

幸せが来る 足音がする
どんなにすごいレースでも走れるよ!と
父に言った 昔と
子に語る未来と
今をゆく私を思う


父は…
脳梗塞の後遺症で、今ではほとんど寝たきりになってしまった

この曲の「父」のように明言は残したことはない

けれども、

どんな高い山にも登りたい!って

気持ちがあったようで

山を制覇すべく
信州を訪れているうちに
気が付けば信州人になっていた。

最近、介護をしていた母も体調を崩し、
いよいよ自宅でのケアが難しくなり
介護施設のショートステイをつなぎながら
施設が空くのを待っている


決して決して良い父親ではなかった
どちらかというと嫌い…
なにも影響を受けていないというか
受けたくなかったし、

まあ、それでも、

家で過ごす時間はきっと…限られているわけで…
私の中には父の血が流れている…から…

できることをしている…

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ところで…
実家に咲くのはアヤメだったけど、

わたしは「カキツバタ」が好きだ。



水辺に咲く、という習性
姿が燕に似ているところ(「燕子花」と書くこともある)
紺色に白いスジがシンプルでかっこいいから…

『幸せは必ず訪れる』

なにより、
花言葉が一番素敵だ。

街は息づく 街は生き抜く
どんなに苦しい坂にも 終わりがある
時を待つカキツバタのように…


涙の水辺から
凛と立っているようで…
とても高貴だと思う。



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