どっちに行くか迷ったときは
このところ、来年度仕事の契約を更新するかどうかで悩んでいた。
物心ついた時からの優柔不断。
これまでも、人生の大きな決断を迫られる場面はいくつかあった。
時系列で行くと、進学、就職、転職、結婚、出産、退職、出産、再就職、退職、出産、再々就職(←今ここ)。
その間、恋人と別れたり、別の人と付き合ったり、
その都度、自分で決めた結果が今だと思う。
そして、どっちを選ぶかと悩んだ時は…
母親が喜ぶ進学先に結婚相手。
子どもはまだ?と義理の両親に言われて出産して、
息子が可愛すぎたから仕事を辞めて専業主婦になり、一人っ子は可愛いそうよと言われて二人目を産み、それからは日々家族が望んでいると思えることを想像して、生活を整えた。
自分でない「誰か」が、こうして欲しいだろう、こうすればすべてが丸く収まると思える選択をする癖がついていた。
それはどうやら一方通行だったと、最近気付いた。
人によっては私の意思決定は理解不可能で、何度も訴えても伝わらない苦しさも、伝わらない。
一方で、多くを語らずとも以心伝心の人もいる。
こんな生き方に限界が来たのが3人目の出産後。
なかなかの手強い育児でもあり、孤立して、産後鬱と言える状態だった。
「私の話を聞きたい人なんていない」
と思っていて、
大人、特に男性とはまともに話せなくなっていた。
人のためにばかり生きていたので何が好きかがわからず、レストランでメニューを選ぶことすらできなくなっていた。
ホメオパシーでは
Anac(アナカーディアム)というレメディ。
二つの自己があって、決められない。
「本当はこうしたい」をどこかに置いてきてしまった人に。
頭痛や腱鞘炎にもよいレメディ。
それから5年くらい経った今、様々な出会いと手助けとレメディのお陰でかなり我儘になった。笑
仕事場でも、結構太々しく振る舞えるようになり、
さほど居心地も悪くなく、本音ではホメオパシーに全力投球したいと思っているのに
「私が辞めたら寂しがるだろうな」
「大切にしてもらってるし」
「大変だけど誰かの役に立てているし、自分のためにもなってる」
もう一人の自己が、思考で判断しようとしていた。
そうする自分が、よく知った今までと同じ自分。
安心な、いつも通りの意思決定。
逃げ道が、ある。
「優しくして疲れて、優しくできなかった時も罪悪感で落ち込むでしょう?」
そうそう!
「迷ったときは、自分が心地よい方を選ぶんだよ。
その練習をすれば自分が幸せになって本当に大切な人を大切にできる」
サンタクロースのプレゼントかのような、
言葉をくれた人がいた。
どっちに行くか、迷ったら。
本当に大切な人を大切にできる選択肢を。
折しもクリスマスに。
幸せなクリスマスの思い出は、大人になってからも生きるモチベーションになると思うと、息子が言っていた。
愛のある選択。愛のあるクリスマスを。
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