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「精神の糧」(2)

「精神の糧」(2)

―孤独なる魂― (イ)

 孤独という観念が個人の魂に住みつき根を張り始めると、徐々に孤独そのものが自分の生存の存在証明のような火種ともなり得る。

 これは隠棲、隠遁という概念と容易に結びつき己自身の意識全てを徹底的に相対化しようとする。此処に虚無的世界観が生じる。これは別名「無常観」である。

 世の様相を観て「在る」というおのれをも消し去り、それすら全て消去拒絶し、忌み嫌い、何物でもない「おのれ」を自然の一部であり全てであるという意識状態に捏造する。荘子に似た世界観である。自然の摂理におのれを完全に委ねて在るがままに在るというような。

 これもよく用いられる、或る種の生存の為の精神衛生学的処理法である。

「惑いの中で夢を観、夢の中で観る惑いを夢とする」夢の夢は、また夢の見る夢である、と。

 浅き夢の中で目覚め、目覚めた夢の中で目覚めたまま夢に生きるという、夢の夢その夢と化す夢。

               *

「徒然なるままに、日ぐらし、硯に向かひて、心に映りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」

 有名な吉田兼好の「徒然草」の書き出しである。この短い文章に描かれているのは或る種の孤独であるが名状しがたい痛みを伴う孤独観である。
 いわゆる西洋的な意味での個人の孤独の心理を暴露し、嘆き謳うのではなくただ人間生存の様相、背負う運命の如きものをしかと観る事しか出来ぬおのれみずからの無力と、状況環境に翻弄され続ける周囲の人々の様相をただ徒然に観る事しか出来得ぬ心持を書くことに嫌気がさしつつも書かざるを得ぬ、という何とも曰く言い難し的な若干自虐をも含むおのれのこころのありようの姿を風景を観るように描いている。
 それも、そこはかとなく、物狂おしく、である。

 

 あやしきよにありてあやしくものくるおしく
 そこはかなくなくしくみるものありてもありてなしや
 ぜひもなしやとものくるおしけれ

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