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「観る行為と意志」

「観る行為と意志」(1)2006年05月04日


観る行為自体の変化を観る。

観るという行為によって変化した意志。

意志自体は不動でもあるのだが、経た年齢との連動と
、、在り様の時空に委ねしや否や

今、連動自体は穏やかに、緩やかになる。

或る意識状態に於いて観る事の緩みと深み。

生きた相対的意識状態のままの眼差し。

森羅万象との密なる連動親和との緩急。

畏怖と創造的忍耐、観る行為と意志。

変容する魂は大河の如く流れたり、、

観る行為と意志との軽い眩暈


観る行為と意志(2)2006年5月5日

行為と意志とは不可分である。
意志と動機も不可分である。
意志の根拠・動機が問われる。
通常はこの根拠の問いにおいて混乱が生じる。

自己の諸体験を基に世界観が形成されているからである。
この世界観を形成したものを透徹した思考で考察する。

この段階において個人という概念は消滅する。
今日の混乱した様相でもある。

意志とは行為の原動力でもあり、方向性でもある。

生きた相対的意識とは奇妙な概念である。
自らが異次元の空間の中で活動する意識を指すのだが、
このように聞きなれぬ概念を用いるしかない。

時空と意志とは親和しつつ大いなる方向性に向かう。
これも喩えのような物言いになる。

生命的意識と思考と感情とは不可分である。
空虚な概念・観念と化した意識状態ではない。

ただ、この状態にも自覚の諸段階がある。

様々な行為が成される。

それらあらゆるものを観る。
その行為の根拠は自らの裡にある。

で、このような物言いは傲慢の謗りを免れ得ない。

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