「直感の意識化、日常化」
「直感の意識化、日常化」
自分自身の足場を支えていた世界観の基盤が完全に崩壊すると、世界そのものの様相が未知なる世界へと一変する。
謂わば、通常の正気と狂気の区別、或いは自他との意識の境界すら消滅してしまうのである。このような意識状態に於いて通常の実生活の中で己自身を保持するのは容易ではない。
個人の自我が耐え難い極現状況に長時間置かれれば誰にでも起き得る事である。その底無しのような恐怖に対し、自我は生物的本能ともいえる自己保存本能により辛うじてバランスを保っているにすぎない。
人類の歩みは常に試練の連続である。個々人の自覚の差異こそあれこの試練から逃れる事は出来ない。又、試練自体他者との比較は意味をなさぬ。
純粋に生物存在の観点から観れば此処には試練という概念は存しない。
人間存在に依拠した快不快、善悪等は自明だが人間のみにしか通用しない。
ただ、我々人間存在の備えている思考、叡智を徹底せぬ限りは単なる自然界の贅肉にすぎないだろう。と、このように言えば身も蓋もないと思われるが、人類の諸行為、現象は如何ともし難い程に悲惨暗澹たる様相を呈している。
我々の魂に稲妻の如く光芒を放つ直感は常に未知の世界から来る。感覚的肉体に依拠した既知のものに呪縛されている魂は真の直感の何たるかを知る事はない。此処に未知なるもの、異質の次元に対する恐怖や不安が生じる。故に常に古今を問わず、道なき未知へと歩む存在は異形者たらざるを得ない。
近代から一気に加速した個人の受難は手を変え品を変えて今後も続く。
個々人の直感の意識化、日常化こそがこの試練を克服していく。
だが、猛威を奮う唯物論に依拠した魂の群れは語るまでもなく衣食住のみの生物的生に呪縛されて生成死滅する原理を打破することすらしないであろう。これを止む無しとすれば今後も更なる試練が各自の自覚に準じて果てなく襲い来る。
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