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『ジブリアニメで哲学する』

・なぜ千尋は神隠しにあったのか?
・キキはなぜ、宅配便を仕事にしたのか?
・なぜシータだけが滅びの呪文を知っているのか?

こうやって問いが連発されたら、どうしたって考えてしまうね。
本屋のレジ前に平積みされていてさ、並んでいるときに目次を見てこれだもの。すぐに買ってしまった1冊。

この本は、ジブリ映画のいろんな要素を象徴的に読み解いていくもの。
たとえば、『風の谷のナウシカ』において「風」はどんな意味をもつのか、「虫」とは?「谷」とは? など。
映画なんかを見たあとに、批評とか解説とかを読みたくなっちゃう人はたまらない本でしょう。

個人的にグッときたのは、この分節化。漠然と、『となりのトトロ』にはどんな象徴的意味が隠されているのだろう〜って考えるんじゃなくてさ、「森」とはなに? 「傘」とはなにか? 「バス」とはなにか? など、徹底的にパーツを見ていくアプローチがおもしろい。

こうやって問いを立てられると、思わず考えてしまうわけですよね。うまい仕掛けだと思う。だって、「なぜトトロは、『前』でも『後ろ』でもなく『となり』にいたのか?」とかね。なるほど、と思った。「前のトトロ」だと青春小説っぽいし、「後ろのトトロ」だと軽いホラーだ。そうではなくて、なぜ「となり」なのか。

この本のなかでは、「となり」というのは「まったくの他者ではなく」「となりという場所に居合わせただけで、特別な存在になる」という。それはかならずしも物理的な真隣ということでなくても、気配のごとく自分たちのまわりにつねにあって、なにかの可能性を与えてくれるもの。そういう「となり性」があると、私たちは安心できるのだ、と書かれている。

作中でトトロは、別になにかをしてくれるわけではないけれど、存在を感じるだけで安心できる。そういう存在として描かれるから、トトロはずんぐりむっくりでどっしりとしていなければならなかったのですね、と。

一粒ひとつぶの考察が、次の電車を待つあいだに読めちゃうくらいの小さなサイズなのでつまみ食いするのにも最適。ジブリ作品をもっと深く読んでみたい人はぜひ。



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