まずは生きるをする。他はそれから

辛い1週間をすごした。
自分の中でやらなければいけないと思っていることを、先送りにしていた。
そんな自分が嫌で、そんな自分のままひとと接するのが嫌で、誰とも連絡をとりたくなくなるときもあった。
しんどくなる時、うつがひどくなる時のお決まりのパターンだ。この一年、何度経験しただろうか。

全てに自暴自棄になって、目を逸らしたくなる。
イライラして、ひとを大切にできなくなる。
さらに自分が嫌になる。そんなループ。
せっかくあった自信や行動力は底をつき、生きる気力が失われていく。
さらにひどくなると決断力は一層低下し、外に出なくなる。

そもそもうつ状態のときは決断力が低下しているらしいが、少しずつ行動を起こしている今だからこそ、いっそう自分は決断が苦手だと感じる。
生き生きとすごしたいと追い求めている日々と自分のしんどさ、至らなさや逃避行動の乖離に、さらに自分が嫌いになってしまう。
やらなければならないことすらできない自分への自己嫌悪に行き着くのだ。

鬱になりたてのころは、自分がしたいことをして回復していこうとよくカウンセラーさんに言われていた。
この助言が功を奏し、今は自分が何が好きかを理解することができたので、言ってもらったことは正しいのだと思う。

ただ、今はそういう期間をほぼ脱したようだ。
私は、まず「生きる」ことをしたいと思う。
ある意味、これが自分のしたいことの一つになり変わったのかもしれない。

生きたいと思う。
穏やかに毎日を過ごし、自分を労り、周囲のひとも労る、そんな日々を。
美味しいご飯を食べ、身支度をし、ひとと連絡をとり、生きるための最低限の活動をして、休む。

他はそれからだ。
他とは、生きるのに加えて、生き生きとすること。
それが、生きるを支えることになる。
生きるに欠かせない大切な大切な要素だ。

だが、私にとっては生き生きすることが生きることの中核になっていた気がする。
ひとによっては同じ配置かもしれない。

生きるの楽しさ・幸せにやっと気づけた。
生きるは面白い。試行錯誤をして自分をケアする。ケアされる。感謝する。ケアが連鎖する。会話する。
生きるは楽しい。生き生きよりも素朴で、ありふれているかもしれないけれど、生きるをすることで感じる幸福感は、何にも変え難い。

これからは、私にとってのコアは、生きることにしておこう。そうでないと、生き生きすることに忙殺されてしまうから。生き生きが生きるを侵食して、生きるをおろそかにしてしまう。

生きるをしさえすればいいのだ。
それさえできれば、私は明日も生きていけるのだから。
生き生きしなければいけないという枷はいらない。
生きるをできたら満点だ。
生きるができたら、きっともっと自由に生き生きできる。

逃げなくていい。
生きるができさえすればいいのだから。
自分を嫌わなくていい。
生きるができるなら、上手くできなくても、しようとできるなら。
その日を生きようとするこころがあれば、自分はそれでいいんだ。