見出し画像

他人軸から自分軸へ⑭~応援したい人を応援できない~

元小学校教員、4児母のうみです。
今日もお読みくださり、ありがとうございます。

だんだんと自分の好きな物や事が
わかるようになってきました。

自分の好きな曲すらわからなかった私が
こういう曲好きだと感じられるようになってきました。

自分の好きな食べ物がわからなかった私が
自分の食べたい物を選択できるようになりました。

他人軸で生きてきて
親や友人や同僚の顔色ばかり伺って
周りの目ばかりを気にしていた私が
応援したいと思える人が増えてきました。

でも、そんな時に出てきた葛藤が

応援したい人を応援できない


ということでした。



無宗教の私立の小学校の教員でしたが、
私の考え方や価値観は
公務員に近い感じでした。

わかりやすく
選挙などで応援したい人がいても口外できない
というのもありますが、
それ以外でも、
個人でお仕事をしている人が素敵だと思っても
社会的な信用がないと
お仕事を依頼できないどころか
その講座を受講していること
もっと言えばその方とつながりがあることを
知られることに対しての恐怖
のようなものがありました。

ちなみに、その葛藤は、後に
個人で仕事をさせていただくことになった時に
友人は
私立小学校の教員
という肩書きがなくなった私と
つながりがあることを
知られたくなのではないか

そんな葛藤に変わります…。
(それはまた別の機会に書きたいと思っています。)


ここ数年で
育休コミュニティや
その他のオンラインコミュニティで
活動していく中で、
個人事業主やご自身会社を経営されている方に
たくさん出会いました。

素晴らしい方がたくさんいて、
応援したい!と思う人がたくさんいました。
でも自分が教員であるがゆえに
誰かを応援することが
同じような事業をしている他の友人や知人を
傷つけることになってしまうのではないか
という変な平等・公平意識も拭えませんでした。

例えば、
美容師さんやカメラマンさんなど
同じ職業の友人が複数いた場合、
あちらを立てればこちらが立たず
だから、
どこで髪を切ったのか
誰に写真をとってもらったのか
すら言えない。

それから、

誰も傷つけたくない
    ⇓
誰からも嫌われたくない
    ⇓
嫌われないために自分の気持ちが言えない。

となってしまって、

想いがあるのに、言いたいことが言えない苦しさが出てきました。

⑬で書いたまるさんもその1人です。

「髪切ったよー」
「〇〇さんに家族写真撮ってもらったよー」
などと
気軽にSNSにアップしている友人が
うらやましくなってきました。

素敵な友人や知人のサービスを
受けることでももちろん応援に
なるとは思いますが、
もっと違う形でも応援したい
と思いながらもできない
苦しさがありました。

友人から
「教員だって自己表現は自由」
ということを言われても
どこからどこまでが自己表現なのかすらも
わからなくなっていました。

そして、
教員として
娘として
妻として
母として
周りからどう見られるか
結局、周りの目を気にしていて
他人軸でしか考えられていなかったなぁ

と感じています。

今思えばあの頃の自分は、自分で
教員である限りこうあらねばならない
と勝手に決めつけて
自分で自分を苦しめていたなぁ
と思います。

この頃から
「~べき」
「~ねば」
を手放すことをより一層
意識するようになりました。

⑮へつづく


noteにも書けないことを書いてるメルマガです。活動情報を知りたい方はこちらにご登録ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?