見出し画像

【10分エッセイ】「もう知らない」

「あと3年早ければなあ(笑)」

あの人にだけは知られたくなかった。
どうすることもできない私の気持ち。

尊敬と恋の間でゆらゆら揺れていた2年前。
音楽仲間と開いた飲み会。
今のような世の中の混乱はなく、繁華街は賑わいとネオンの灯りでいっぱいだった。

年齢も職業もバラバラの約15人。
会はひとしきり盛り上がり、飲食のペースが落ち着いてきたころ。

「そういえば付き合っている人とかいるの?」

会話の中心にいる人が私に尋ねた。
よくある恋愛話だ。

「いませんよ。」

シンプルな受け答えで切り返す。
周りではガヤガヤと話をしているわけではないので、自然と私に視線が集まっている。

「じゃあ好きな人はいるの?」

またつまらない質問だ。
すると、すこし顔の赤くなった男性が口を開いて皆に告げた。

私があの人に恋をしていると。

皆の視線が端に座っているあの人に向けられる。
知られてしまった。
名前の分からないこの感情。
まだ自分ですら全てを理解できていないのに。

それが恋だと知りたくなかった。

あの人は周りに反して全く驚く様子はない。
そして変に間を空けるわけでもなく、いつものペースで言葉を返した。

「あと3年早ければなあ(笑)」

真剣でもふざけてもいない、ふわふわとした言い方に空気が和んだ。
私も思わず他人事のように笑ってしまった。
自分のことなのに。


あの人は3年前に結婚している。
それに奥さんも素敵な人だということも、前から知っている。
最近では可愛らしいお子さんも産まれた。

だからこの思いを伝えるとか伝えないとか、そういう話ではない。
さらに言うなら、これが恋かどうかは私が決めたことではない。

でも、あの人を人間として好きだということは確信している。

全てを許容するような懐の大きさ、相手に気を遣わせないところ、たまに見せる愛嬌も、
尊敬している。


尊敬と恋の境界線は一体どこなのだろうか。
そもそも、その2つは共存してはいけないのか。

皆、知らないものには名前を付けたがる。
ラベリングして保存すれば安心するからだ。

でも、異性への尊敬を安易に恋だと判断するのはナンセンスだと思う。

私の感情は私以外誰も知らない。
私の人生誰も代わってはくれない。

だから、この感情の名前は私が決める。


あれから、あの人との関係は特に変化はない。
たまに会うし、そのときはいつものように楽しく会話する。
それはあの人の気遣いに違いない。

分かっていた、知られてしまったところで何も変わらないことくらい。

それでも知られたくなかった。

そして知りたくなかった。
この感情を世間では恋と呼ぶことを。

だから、知らなかったことにしよう。
自分の気持ちに蓋をするつもりはない。
その代わり、世間の声には気づかなかったことにしよう。

2年経った今も、名付けのタイミングは来ていない。
まだこのままでいい。

そよ風に吹かれるように歩いて、少し疲れたとしゃがみこみたい。
そして懐かしいお花を見つけるように、
小さな世界で私は生きていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?