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担保がなきゃね、という社会


なにが起こっているのか分からなかった。この10日余り、わたしは複数の女性に高笑いされ、罵声を浴びせられた。ドンマイと思っても、体が付いてこない。腹部が膨らんでくる。内臓が腫れあがっているのだろうか。調子が悪い。

そんな日々を過ごして、やはり一度きちんと向き合わなければと思った。

11月17日から始めたクラウドファンディングが、まるでかつての西野亮廣氏になってしまったのかと思うほど叩かれる。

一度きちんと考えなきゃ体がもたない、もうこの活動を続ける気力がない。

辛辣な意見を言い放つのは、全て女性だ。何が彼女たちをここまで不快にさせるのか理解できない。嫌なら、わたしは関心がないのと断ればそれで済むことだ。なにもここまで叩きのめさなくても、との思いが消えない。

そんなわけで、昨日から今日にかけて、複数の人に、わたしのクラファンの感想を聞いて回った。

昨日は、Stand.fmで、

上手く出世していたり、周りのおじさまに愛されてる女性は、その傾向に異を唱える女性のほうに攻撃の矛先を向けます。攻撃されやすいのは、常に弱者です。「私たちも我慢しているのだから、同じように我慢をしなさい」という同調圧力です。

Stand.fmのこゆきさんから届いたコメント

というコメントをいただいた。男性に同化する女性が、そこに異を唱える女性をたたく社会。

そのこゆきさんから、今日も応援のメッセージが届いた。そして、幾つもの心配の声も届いた。叩くのも、励まして下さるのも女性だ。

わたしの専門の社会学では、日本では女性が分断されているという研究がある。女性を引き裂く社会の仕組みがこれほど長く続いて来たのだ、分断されない方がおかしいというもの。男性中心に作り込まれた社会で、男性と同等に働く女性が、そのために身につけなければならないものだって多いはずだ。

それでも腑に落ちない。

クラウドファンディングで集めた費用を一体何に使うのか詰問する人がいる。いくら説明しても駄目だ。分からないわ、としつこく手厳しい。

そんな中、一人の男性の言葉がスルリと体の中に入ってきた。あゝ、それだと思った。その方は、

会社でもあるよ。新規事業を立ち上げる時、担当者が一生懸命説明したって、まず相手にされない。取締役会でしつこく問われるのは、その新規事業の費用対効果だよ。新規事業は投資だからね。その投資は回収できるのか、こればかり聞いてくる人がいるんだ。年寄りだけどね。

という。

混乱が収まった。

これだった。きっと、これだったのだ。

わたしのクラファンに対して辛辣だった人たちは、詳細な数字さえ聴こうともしない。彼女たちが知りたがるのは、クラファンをやって何が得られるのか、その成果物を明らかにせよという。

これは日本社会の写しだ。担保社会のこの国では、担保のない人は銀行融資が受けられない。だから今、担保を持たない女性や若者に東京都はクラファンを勧めている。

担保社会は、トライ&エラーを許さない。何かを始めるのであれば、どう回収するのか提示する必要がある。これでは人はチャレンジできない。

実は、現在、国もこの担保型融資を見直すべく動いている。こんなことばかりしていては国は衰退する。持っている人にしかお金を貸さない社会では、チャレンジなど生まれない。

先日、テレビでSUNTRYの紹介番組があった。その中で「やってみなはれ」という言葉が使われていた。転職してSUNTRYに入った男性が、やってみたいというものはなんでもやらせてもらえる会社ですと答えていた。なんていい会社だろうと思った。きっと働きやすいに違いない。

わたしは20代、リクルートで働いていた。当時リクルートでは、「なにをやっているの?」という感じがあった。やってみなはれよりさらに自由だった。それぞれがなにかを考えて動いていた。今もトライ&エラー文化が際立つ会社だ。

そのリクルートの元上司が、わたしのクラファンの話しをお伝えした際「たいしたもんだ」という感想をグーマーク付きでくださった笑。クラファンが立ち上がると、高額支援をしてくださった。

元上司は、支援と引き換えの成果物は問われない。チャレンジにご支援下さったのだ。もちろんご支援してくださった100名以上の方も同じだと思う。

わたしはハイキャリアではない女性の働き方を変えたい。けれど、それは一人ではできない。だから、まずはわたしたちがどんな社会で暮らしているのかを知ってもらいたい。そのために小さな講演会を5回準備している。そこにかかる経費が50万円。そのための活動維持費として30万円を求めている。その他はクラファン側への手数料と、このクラファンのリターンに参加された方々への支払いだ。啓蒙活動で提示できる成果物は今はまだない。

ようやく落ち着いた。

わたしに辛辣な声を浴びせた人たちは正義の人たちだ。わたしはその正義の裁判にかけられたのだろう。

多くの会社の取締役会で、新規事業の費用対効果が追及され、回収できなければ意味がないと却下される。結局、何もしたくない人ばかりなんだよ、と言った人の言葉が膝を叩くほどよくわかった。

わたしはそんな社会で声をあげたのだ。古くて馴染みのあるものを信じて疑わない人がこれほど多い。

ようやく落ち着いた。

意味がわかった。

常識や当たり前がこんなふうに顔を出した。

ここから先は、理解して下さる方と繋がっていけばいいんだということが理解できた。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※17日までクラウドファンディングで活動資金を集めています。ご支援いただけますと嬉しいです。よろしくお願い致します✨


※スタエフでもお話ししています。

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