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見えないものを取り出して。教育は女性を救える?そしてそこからSDGsへ

この国の女性の「働き方と生き方」はもつれてる、そんなことが気になってます。

で、そのもつれの原因の一つが教育だとしたら?

あなたは父を、母を、先人を責められますか?


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MDGsの先にあるもの

さて、だれもが知るSDGsには一つ前の「ミレニアム開発目標」MDGs※があって、

その目標の一つに教育におけるジェンダー平等がありました。その活動がSDGsへと引き継がれ…

わたしが大学院で国連の授業をうけたのはそれがSDGsへ引き継がれる少し前のことでした。そこで授業をされていたのは国連で働かれていた日本女性です。

その授業で、なんだかモヤモヤとしたのです。

なぜって、国連では教育のジェンダー平等が達成されたその暁に、

性別で社会文化的規範に制約されず、自らの意志で人生の選択ができる社会

が想定されていて、

しかも日本はそれを支援する側です。


なのに、支援する側に居るはずのわたしの暮らしには制約ばかりがあって。

ですから尋ねてみたのです…

するとこんな言葉が返ってきました。

わたしの父も母も差別などしませんでしたよ。それに、わたしは男性と同じように教育を受け、男性と同じように働いて来ましたよ

と。

その先生は、わたしよりずっと年上でした。

※菅野斤 西村幹子 長岡智寿子『ジェンダーと国際教育開発』2012福村出版


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あなたのことは、あなたしか知らない

それはきっと事実です。わたしよりはるか年上のその先生は、差別など感じたことすらなく生きてこられて、国連でご活躍されたのです。


それに、こうした”すでに解決済み問題”を、わたしはもう嫌というほど経験しています。

そんな時、

でも…と口にすると、きまって、

頑張れば大丈夫よ、あなたにだってできるわよ

と励まされたり、

時には、

頑張りが足りないんじゃないの??!

と返されたり。

そう、まるで、

誰もが自らの意志で人生の選択ができて、

そうした生き方ができない途上国の女性を支援する側に立っている、

そんな感じなのです。


そだけではありません。

時代は変わったのに、いったいいつまでそんな古い話しにこだわってるの?

そんなことを言われたりもします。


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見えないもの=無いもの

ところが、先日、Mapleさんがこんな記事を書いてくださいました。

わたしの書いた、”自分の中に潜む性別役割意識”の記事に、

Mapleさんも同じような葛藤をかかえてきたと書かれているのです。

彼女の中には、結婚後は夫を中心にという考えがあって、だからお子さんをあずけて働くと罪悪感があって、家事が疎かになるのもストレスだったのだと。

それから、夫さんの駐在に同行され家事子育てに専念されると違和感や孤独感があって、お金を稼いでいないことにもうしろめたさがあったと。

そんなご自身の中に潜む性別役割意識はもしやお母様の影響だったのかも…と思われているのです。

そんなMapleさんは、わたしよりもずっと下の世代。

なのに彼女の抱えるジレンマは、わたしの抱えていたジレンマとそっくり同じなのです。

育った年代も、場所も、家庭も違うというのに、わたしたちはおなじジレンマを抱えているのです

けれど、先にお話しした、わたしより上の世代の先生はそうではない

そう、同じ社会で生きていても、この国の女性には目に見えない差があるということ。

だからこそ、目に見えないそれは共有されず、個々の悩みとして表にでてこないのだと思うのです。

たとえ誰かに話したとしても、それは単なる愚痴ととらえられ、決して分かり合えない壁を感じて、女性は口を閉ざしてしまうのです。


ですから、いまはやその差はではなく、そんなふうにも思えるのです。

そして、この社会は、

女性間に個人差は無い

そうなってしまっているのではないでしょうか。


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教育の平等が達成されたというのに

さて、話しは変わり、

世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数2021で日本は120位でした。

その特徴は、教育の男女平等は達成されている。けれど男女の所得に大きな格差があるというもの。

そう、日本のジェンダーギャップの一番の問題点は男女の所得格差なのです。

たとえ教育で男女平等が達成されても、働き方に性差がある、じつはここが、あの国連の授業で覚えたモヤモヤでした。

教育の目的が達成されても、

性別による社会文化的規範に制約されず、自らの意志で人生の選択、自身の持つ可能性や才能を開花させることが可能となるような状態

は出現していないのです。

そう、それは思い込みなどではなく現実だったのです。


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同じではない=自然

このジェンダーギャップ指数であぶりだされるのが、きっとMapleさんやわたしがら抱えているモヤモヤなのです。

実はわたしもかつて夫の転勤で仕事を辞め、その後兼業主婦になっています。

女性が仕事を辞めて家庭に入る理由は…いろいろです。そしてきっかけだっていろいろです。

でも、

◾︎ それでも外へ出て働く人がいます。

◾︎ ところが、外へ出たくても出られなくなり、まるで結婚が、選んだ相手が、出産が、育児が、ペナルティのように感じられる人がいます。

◾︎ それから主婦として活き活きと暮らす人もいます。

もちろんこの国で妻が被扶養者であることには様々な意見がありますが、そちらについてはそう単純ではありませんのでまた別の回で。

ただ専業主婦にはリスクが伴いますので、それを承知の上でその生き方を選ばれるのであれば、女性にはそれを選ぶ権利も自由もあると思うのです。

そう、結婚後の女性の生き方が違うのはナチュラルなことだと思うのです。

それこそが国連の望んだ教育の平等が達成された先にある女性の姿に違いないのですから。

☑ 結婚しても子どもがいても働き続ける

☑ 結婚や出産で家庭に入り被扶養者として働く

☑ 結婚や出産で専業主婦になる

出産や子育てをするなら、どの道を選んでも不思議ではありません。

自らの意志で人生の選択ができる、それはとても大切なことです。

役に立つか否か、
賃金収入があるか否か、

そんなことを人の生き方の評価基準にするのは恐ろしいことでもあります。


ただ、この中で一番の問題は、

自らの意志で人生の選択ができない女性がいる、ということなのです。


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教育の力

で、ここでちょっと昔話しをさせて下さいね。

教育が人の心に与える影響が大きいことは近隣の国々で日頃学習していますよね。

ただ、この国にも刷り込まれた思想があるのです。



かなり古い話になりますが、

明治の頃、まだ日本に家制度があって、そこでは個人の福祉なんて考えられてなどいなくて、あるのは家の継承だけで。その時代に、近代化の波がやってきます。すると、新中間層とよばれるサラリーマンが誕生するのです。そう、元祖サラリーマンです。家制度の時代にまさかの核家族専業主婦でした。ただサラリーマンの家計は妻の内職で支えられていて、それでも日給ではなく月給なところや、手を汚さない仕事が素敵で、この働き方が「中流のイメージ」となり、若い女性がサラリーマンの妻にあこがれます。そんな憧れがいまでも一部生き続けている、なんていわれています※①


どうでしょう、まんざら嘘でもないですよね?


で、このサラリーマンと相性がいいのが良妻賢母思想です。その思想は明治の学校教育で広まります。時代に合ったんです。なぜって勤め先に夫がでていけば子どもを育てる人がいない。だったらそこを誰かがカバーすればいい。そこで女は家にで収まりがいいとなります※②


で、さらにその仕組みを補強するかのように、その頃の教育、男性にとって学歴は卒業後に社会で地位を獲得するための手段となり良妻賢母教育をうけた女性はそれが「嫁入り資格」になったのです※③。


しかも、当時の中流階級の家庭は保守的道徳でガチガチ。なので奥さんが外で働くなんてもってのほか。男子の名折れなどと言われます※④

なにしろ、世間があこがれる中流家庭ですからね~


時代と思想、

つまり教育

そう、教育の力って、じつはすごいんです。

それは人の心だけじゃなく、家庭だけじゃなく、

社会の形まで変えてしまうんです。

※①袖井孝子『女子労働の新時代』1987東京大学出版会   ※②小山静子『良妻賢母という規範』1991 勁草書房    ※③木村涼子『〈主婦〉の誕生』2011吉川弘文館    ※④原克『OL誕生物語 タイピストたちの憂鬱』2014講談社



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途切れないもの

今頃そんな話し、なんて笑わないでくださいね。

この憧れの対象だったはずの中間層、ほんとうはいつも失業と背中合わせ。

なので中間層の女性も働きはじめます。プライドだけじゃ生きていけませんしね。これが職業婦人たち。タイピストなど特殊技能を身に着けて。ただそうはいっても女性の職域は完全に分離されてて、高学歴でも女性の待遇は男性とは比べものにならないほど低かったんです※①


なにしろ、家族を養うために働くのは男性で、女性は家計補助の役割とみなされていますしね。

だから待遇面には明らかに男女差がありました。

だから?

どうしたの?

そう思いますよね。

でも過去の話し、でおしまいじゃないんです。

そう、なんと、続きます。


ようやく女性が社会へ出たころ日本は戦争へ。で、企業は国の管理の下におかれ。この時期に家族手当が導入されて年功賃金制ができて、終戦後も本人の年と扶養家族の数に応じた生活保障給に能力給や勤続給が加味された年功賃金制度が。それがそのまま定着したんです※②

※①原克『OL誕生物語 タイピストたちの憂鬱』2014 講談社    ※②浜口佳一郎『働く女子の運命』2015文春新書


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女性の働き方と生き方はもつれてる

ね、この国の女性の働き方と生き方はもつれてますよね。

そこには教育の力がありました。

良妻賢母は死語じゃありません。性別役割分業はわたしの母たちが作り出した考えじゃありません。女性は女性らしく男性は男性らしく、妻になれば女は夫を支える、そう教えられた人たちがいて、さらに国がそれを支持していたのです。

そんな長い長い歴史があるのです、この国には。

企業だって、そんな国のなかでルールを決めるしかない時代があって、そんなものがこの国にはたくさん残っています。

そして、その呪縛から抜け出したのが国連で働いていたあの先生のようなご家族でした。

そうした人たちにはそこを抜け出すだけの情報や力が備わっていたのだと思うのです。

すごいと思いませんか?

教育というガッチリ固められた枠から抜けていく人たちが昔からいて、そんな現実もまたあるということなのです。

けれど、やはり一番の問題は、

自らの意志で人生の選択ができない女性がいるということ。

そうした人たちは幾重にもくるまれた目に見えないものの中で苦しんでいるのです。


本当は、もう少し先までお話ししたいのですが4千字こえちゃいましたのできょうはここまで。

そう、SDGsの前に、まだやることがたくさんあります。この国には。


音声で日本の女性の現状についてお話ししています。よかったら聴いて下さいね。


最後まで読んでいただきありがとうございました💖

#性別役割分業

#良妻賢母思想

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