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1月15日は京都文学フリマ & 死生観について少し書いてます

ども。
出店するわけでもないのですが、宣伝します。
今京都に住んでいるのでふらっと行こうと思ってます。

本当は一緒に出店しようと言われていたのですが、いろいろ事情があって実現しませんでした。
また落ち着いたら出店してみたいと思います。
できることなら商業出版でみなさんと出会いたい。
できることならね。

今日は私の死生観について語ろうかな。
死ぬということはひとつの終わりだけど、また新たな何かが始まる地点でもある。
来世が始まるのか、霊界行きが始まるのかわかりませんが、始まりなんです。
死を回避することは今のところできた人はいないので、みんな死ぬのでしょうけど、それほど恐れる必要はないでしょう。
死んだら終わりというけれど、それはこの世でのことであって次に何かが始まると考えれば死ぬのって怖くなくなるかなって。
だから死んだら無になるという考えより、死んだ後に何か続きがあると考える方が、楽ってもんよ。

死とはこの世では誰も体験したことないものです。
臨死体験したという人の話は死へ到達する前にこの世に引き返してきた話だから死を体験したとは言えない。
臨死体験とは死後の話でなく、死の手前なのだ。

小説家になろう、とかで転生ものが流行っていたりしますが、みんな死の向こう側にとても興味があるのでしょう。
死の向こう側を覗き込みたい人の気持ちを利用したものが転生ものの小説です。
みんな必死に想像するが、何とも定まらない。
ゲームの世界に入ることが多い気もします。
死んだらどうなるんでしょうね。
死んでからのお楽しみです。

こうして好きなことを書いている分にはいくらでも書けるんですけどねえ。
まあでも、私の死生観を生かした作品が生まれるよう期待しておいてください。

追伸
文藝短編賞には私の死生観たっぷりの作品を送りました。
結果は半年後くらいになればわかるでしょう。
作品自体には自信あるけど……。
選ばれることを夢見て寝ます。

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