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そうだった。人って、あたたかいんだ。

 私の手先はいつも冷たい。手袋に包まれていても、コートに突っ込んでいても、いつも驚くほどに冷たい。特に寒くなってくるとそうで、ストーブに当たっていても、お風呂に入っても、一時的にはぬくもるのだけれど、すぐに体温を失っていく。
 けれど当人は意外と無自覚だ。なんだかもう、冷たいことが当然というか身体の一部、生理反応のようなもので、いつもその冷たさに対して鈍い。寒がりなのに、指先、とりわけ手に関してはいつも無防備だ。
 人よりも冷たいということを自覚するのは、決まって人の温もりに触れる時だ。そのとき、人の手を少なくとも自分よりもあたたかいと感じる、そして同時に自分の驚くほどの冷たさが跳ね返ってくる。形がなかった冷たさ。冬において、私よりも冷たいと感じる人に出会うことは、滅多にない。


 今日、とある作家の個展に赴いた。いちかわともこさんという方で、現在ホホホ座浄土寺店にて個展をされている。アドベントカレンダーを題材にして、クリスマスツリーのような巨大な絵を中心として、いくつか原画を展示されていた。巨大な絵は、モミの木や小屋のオーナメントが飾られており、一日経つごとに取られていって絵が少しずつ変わっていくという面白い試みだった。


 この方を知ったのは、恵文社一乗寺店にて、七十二候をモチーフにしたこけしの作品集を見つけ、それがあまりにも良くて衝撃を覚えたことがきっかけだった。あまりにも好きだったので布教したくて仲良くしてくださっている友人に贈り、そして自分用に通販で買ったというくらいだった。その通販を利用したからか、ある日DMが送られてきて、12月に個展をされることを知り、休日を利用して今回伺ったというわけだった。
 初めて目にする原画は、その色彩の豊かさ、光に、圧倒されるというより、浸透していくような美しさがあった。明日を繋ぐささやかな楽しみや幸福といったことがテーマのひとつだと事前情報で得ていたけれども、まだすべて見えていない絵も未完成というよりも、毎日違う作品になっている、そういう印象だった。他にも原画やこけし作品も本棚の上にずらりと並び、ホホホ座の雰囲気に馴染みながら、独特の光を放っていた。


 私は当然ながらご本人の顔を知らず、今回在廊なしとDMに書いてあったから、店員からご本人がいると報された時には驚いた。挙動不審だった。たいへんな人見知りを抱えている私だが、そうして紹介されたからにはなんとなく声をかけなければいけないような気がして、急に心拍数が上がった。
 ギャラリーなどで開催される個展やグループ展などで、作家さんが在廊されていても、余程のことがない限りは声をかけない。空気でありたかった。空気となって作品を見つめて、名前もないAですらないなにものかとして、音もなく過ぎ去る。人見知りだから。恐れ多いから。緊張して変なことを言ってしまうのが恐いから。理由はいろいろ浮かぶが、とにもかくにも、これは、何か一声、かけた方がいいのではないかと思った。私の手元には、美しい絵を構成していたオーナメントの一つがあって、それを買いました、と、それだけでも声をかけていってもいいんじゃないかと。


 外でなにか制作をしておられるところ、ほとんど容量ゼロに近い勇気を振り絞った。
 いちかわともこさんは絵の雰囲気がやわらかだが、ご本人もまたやわらかな方で、初対面にも関わらず穏やかに接してくださった。私は終始緊張していたので、木を買いました、ということ、こけしの本を通販で買ったんです、ということ、原画が見れて良かったです、ということ、また来たいです、ということ、そういったことを伝えたような、覚えはあるのだけれど、細かいことは記憶から飛んでいる。


 けれど強烈な出来事を一つ覚えている。
 木を買ったんです、ということを言った時に、「えーっ」と驚かれて、「ありがとうございます~!」と一瞬、私の手を握ったことだった。緊張で目を回している勢いだった私に、それは強烈な自覚を与えさせた。驚きじゃない。ほんの少しだけあたたかく感じたいちかわさんの手、つまりはめっちゃ冷たい、私の手。私は咄嗟に「手冷たくてすいません!」と申し訳なさでいっぱいになりながら、同時にこの握手を通じていちかわさんに何かあったらどうしよう、と、このご時世ならではの感情が湧いた。以前は触れることなんて、そんなに戸惑うことじゃなかったのに。
 ああそうだ。私の手は冷たいんだった。
 あの瞬間、私は不意に今までのことを思い出した。学生であった頃、教室で、どんなに温かくしていても私の指先はいつも冷えていて、驚かれて、一生懸命温めてくれたこと。さすって、握って、包まれて、いつか相手の温度と平衡になった。いつも私は温かさに心を解されると同時に、私の冷たい指が相手の体温を奪っていくことが申し訳なかった。その申し訳なさが、咄嗟に「手冷たくてすいません!」と口走らせていた。
 その握手は一瞬のことだった。だけれど、そうして、ありがとうございます、と握ること、そこに浮かんだ反射のようなこと、弾けた喜び、といったことを私は信じたくて、冷たいのは申し訳なかった、けれどもそれ以上に、体温以上に、なにか大切なやりとりがその瞬間になされたように思った。体温以上に、交わされた、ぬくもりがあったこと。店の外で交わされたほんのひとときの会話。まともな感想すら伝えられなかったような気がしていて今少し後悔しているのだけれど、でもあの瞬間に、ふっと作家と観客の間に引かれた(というか私が引いた)線を越えて、手を握ったいちかわともこさんの、人間を感じたような気がした。それでなんだか私は泣きそうになってしまった。忘れていたこと。思い出したこと。ああそうだった。人って、あたたかいんだ。

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 机に座る私の目の前には、あの個展でなんとなくぴんときて持ち帰った、一本の木が壁に飾られている。木の板がモミの形に切り取られて、絵の具が塗られた、色彩の移ろう刹那を切り取ったような木。
 それを包んでいただいた、雪とモミの森で白ウサギが跳びまわっているラッピング袋も可愛くて質感が良くて触ってるだけで幸せになる。
 あの出来事に感動しているのはたいへん個人的でひとりよがりな勝手な感想であって、作家にとっては無数にいるうちの一人の観客に過ぎず、それで良くて、私はやっぱり空気でいい、と思っていて、でも、あの時勇気を出して、線を越えて、話しかけて良かった。木を持ち帰りますと伝えられて良かったと思うのは、いちかわともこさんの嬉しそうな顔を見て、なんだかほんとうにこちらまで嬉しくなったからだった。
 私の指先は今もうんと冷たい。でも、ふれた心は、温度を奪うことなく、あたたかい。今、隣にいる人が近くて遠い時代だからこそ、このあたたかさは大切なんだと感じた、寒空の下のこと。


 いちかわともこさんの個展は、12月25日まで開催されています。
 なんとも外出も気が引ける時期ではありますが、ホホホ座も面白く楽しい本などをたくさん置いていてハッピーなお店なので、機会あればぜひ。

たいへん喜びます!本を読んで文にします。