見出し画像

投資#184 現代も、幕末の志士は憧れの的


書籍の情報


タイトル:昭和史 松本清張と私 大正末期~二・二六事件
著者:渡部昇一
出版社:株式会社ビジネス社
発行日:2005年12月14日

書籍の抜粋


ひと言でいえば、当時の日本共産党のメンバーはあまりにも未熟だったということになります。社会主義か共産主義、あるいは理想の社会、そうした虚構(フィクション)を夢見て、日本の現実を見つめるリアリズムがなかったから、世界制覇をもくろむソ連のコミンテルンにいいように操られてしまったのです。
じっさい彼らは若すぎたのかもしれません。ここで主だったメンバーの昭和元年における年齢を調べてみると、次の通りです。
佐野学=三十三歳
田中清玄=十九歳
徳田球一=三十一歳
野坂参三=三十三歳
福本和夫=三十二歳
宮本顕治=十七歳
渡辺政之輔=二十六歳
いずれもに十歳から三十代前半といったところです。松本さんもこう指摘しています。
《当時の幹部党員はみな若くいずれも二十四、五歳ぐらいだ。血気な上に、自分たちによって革命を成し遂げるという英雄的心理にも駆り立てられた。安政の大獄でやられた幕末の青年志士たちも同じような血気で行動した》
面白いのは、彼らとほぼ同じころ、日本を動かそうとしていた青年将校たちもだいたい同じような年齢だったことです。一例として、二・二六事件(昭和十一年)のおもなメンバーの事件当時の年齢を記しておきます。
安藤輝三=三十三歳
磯部浅一=三十歳
栗原安秀=二十七歳
中橋基明=二十八歳
西田税=三十四歳
村中孝次=三十二歳
左の共産党メンバーも、右の青年将校たちも、彼らはみなそれぞれ「明治維新」を頭に描き、「維新の志士」を気取っていたのではないでしょうか。
維新のとき、伊藤博文は二十七歳、大久保利通が三十六歳、西郷隆盛は四十歳、そして坂本龍馬が三十二歳・・・。やはり同年代です。
左翼はさすがに「維新」とはいいませんでしたが、青年将校たちは「昭和維新」を叫びました。自分たちが竜馬に、または西郷隆盛になったようなつもりで、日本を改革しようという意気に燃えていたのだと思います。
右であれ左であれ、彼らにある種の「正義の念」があっただろうことは私も否定しません。しかしながら彼らの本音を探っていくと、ぎりぎりのの本心はー偉くなりたい、ということだったのではないかと思えてしまうのです。
維新の志士は一挙に徳川幕府をひっくり返し、明治政府をつくりました。そして自分たちが天下を取りました。それと同様に、共産党のグループはブルジョワ政権を倒して自分たちの手で労働者と農民の政府をつくり、その上に自分たちが君臨したいと思っていたはずです。青年将校たちも、ダラ幹、高級軍人や資本家の政権を全部引っくり返して自分たちの軍事政権をつくるんだ・・・というわけですから、左右とも構図はまったく変わりません。
もし差があるとすれば、維新の志士たちは革命後のヴィジョンがあったけれども、昭和の志士たちにはそれが欠けていたということでしょう。
(以下、省略)

第6章 日本共産党の問題
共産党リーダーと青年将校

感想


日本は、第二次世界大戦で敗北
しましたが、政府が解体された
わけでなはいと思います。

今の日本政府の源流はどこか、
と言われたら、明治政府なんでしょう
と思います。

今でも、維新の志士たちは
若い人たちの間でも人気
ではないかと信じています。

10代の人もそうですが、
アラサーあたりも、
維新の志士たちに憧れとか、

自分もそうなりたいと、
投影してみたりするのでは
ないでしょうか。

また、敗れた徳川方であっても
人気ですよね。新選組とか。

現代の政党の中にも、
維新や新選組の文字が入った
政党があることから、
人気は根強いと思っています。

なんかケチつけているような
私ですが、私もアラサー頃までは
憧れたり、そうでなくても、
投影してみたりしていましたね。

もちろん、ヴィジョンは欠けて
います(涙)

維新の志士に限らず、
幕末の志士たちは、若い人たちに
人気なんですよ。

それは、昭和初期も変わらず、
二・二六事件を起こした青年将校
たちも同じだったのかと。

こんなことが日本史の授業で
話されていたら、「おやっ!?」と
生徒は思うのではないですかね。

寝ていた高校生も目を覚ます気が
してなりません。

恐らく現代も、幕末の志士は憧れ
の的なのでしょう。

まとめ

現代も、幕末の志士は憧れの的


この記事が参加している募集

スキしてみて

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?