見出し画像

結婚や出産の兆しとの付き合い方 #126

ど懐かしい、結婚や恋人に過剰に執着してたころのLINEを掘り起こされて焦る朝です。お待たせしました。

ただ基本的には恋愛至上主義な人間で恋人を途切れさせたことがないので、自分的には結婚に執着していた自分も、結婚という形式はいらないがパートナーを必要としている今の自分も地続き。辛いときも楽しいときも最初に共有できる唯一の存在に常にいてほしいんだと思う。寂しがりやさん(キモ)なのかも。

だから元恋人がみんな他人になってしまうのはなんか悲しいこと(まあだからと言ってわざわざ仲良くしようと思わないケド。終わりにはいつだって理由がある)だなとは思うし、結婚式(!)したときにスピーチを頼めるような生涯の同性マブダチがいないのは私の恋人優先人生のせいのように思う。

タイトルの件ですが、最近とてもよく感知してしまっては、パッと「おめでとう」を出さなきゃという気持ちで心を固くしてしまう自分がいる。

望む望まないできるできないにかぎらず、やはり結婚や出産は「前進」に見えるし、私はそれが物理的に可能かもしれないのに選ばない臆病者で馬鹿者で子どもなんだろうかみたいな思いが度々あたまをめぐる。

家の中は毎日楽しいけど、それは本当に家の中だけで、外に出れば私は仕事の負荷に押しつぶされそうな中間管理職の独身女という目線で見られているのかしら。

被害妄想だ!と自分をいなさなくてはいけないほどに落ち込んでいるわけではないけど、上記のようなアラサー女の健康や生き方について心配するようなコメントを周囲からもらったときに、フラットにそう感じる(「ひとりでもちゃんと自炊してるのね」「週末楽しめたの?よかったね」みたいなやつ)

天邪鬼なのは間違いないし、前進できていないかもみたいなことを最近は受け入れつつあるもある。ただ、その場その場で扱いづらいと思われることほどしんどいことはないので、ますます友人付き合いも遠のいたりして。

そんでもって、また結婚式でだけ会ったりして。そこでごめんアルコール飲めないんだ、妊娠して、とか言われたりして。また自分って後退してないか?と思うなど。グルグル回る。なんか暗いけどふたりには、わかってもらえる頭の中かと思って書き出してみました。本当はもっと自分の奥底にダイブして、みたい。

このnoteは移動中の10分で書きました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?