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もういない君と話したかった7つのこと #11

批判の銃弾は「もう一人の自分」に受けてもらう


 人は「経験していないこと」を恐れ、不安になります。
 大抵の不安や悩みは「まだ起きていないこと」です。
 まだ起きていないからこそ、いろいろなパターンを想像して恐怖をふくらませるのです。
 これが「予期不安」と呼ばれるものです。
 Kは、この予期不安を抱きやすいタイプでした。
 僕はそんな彼に、自分が試した3つの方法を話したことがあります。

「いろいろなことに慣れる」
「小さなことからはじめる」
「もう一人の自分をつくる」

 の3つです。
 先に述べた講義のエピソードには「いろいろなことに慣れる」「小さなことからはじめる」という2つの要素が入っています。
 では最後の3つ目、「もう一人の自分をつくる」とはどういうものでしょう。
「もう一人の自分」というのは、人とのコミュニケーションを客観的に見渡している自分です。
 たとえば、誰かと話していて、ひどいことを相手から言われても、実際に言われた自分とは違う次元の自分がいることで、「この人が本当に言いたいことは他にある」とわかります。
 そうしたことができると、ひどい言葉の銃弾に「被弾」しないようになっていけるのです。
 実際に話している「生身」と、冷静に眺める「意識」に自分を分ける。
 人を恐れないために、傷つかないためにはこれが必要なのだと思います。
「生身」のほうは、意識のないただの入れ物のようなものです。
 入れ物がいくら傷つけられても、冷静に意識を保てられれば、まったく問題ないでしょう。
「人が怖い」という人は、えてして「傷つけるのも、傷つけられるのも怖い」という状況に陥りがちです。
「生身の自分」だけで人と接する必要なんかありません。
 素手で殴り合いなどしていたら、誰だってそのうち血まみれになってしまいます。
 だから、適切な距離感で友人たちなどとコミュニティをつくるためには、生身の自分と、客観的な判断をする自分を持っていましょう。

 僕は20歳くらいのときに、たまに一人で「今日は別人になろう」と思って、設定を考えて、他人として振る舞う……ということをやっていた時期があります。
 たとえばある日は「今日は外国人という設定でいこう」と考え、美容院に行って店員さんとカタコトで会話したり。またある日は「今日は宇宙人という設定でいこう」と、謎の言語しか話さないという縛りを設けたりしていました。
 今考えるとまったく無意味です。
 ですが、自分と別の人間でいるあいだは、人の言葉にいちいち傷つかなくなっていたのは確かです。

 元陸上選手の為末大さんが『「遊ぶ」が勝ち』という本のなかで、「仮面を被って街に出たことがある」という話をしています。
 仮面をかぶると、みんながこちらを見るんだけど、視線が気にならない。
 それまでは他人の視線が凄く気になっていた為末さんは、それ以来、勝負顔というものを意図的に作るようになったそうです。
 自分の顔を「仮面」にすることで他者の視線から自由になる、ということです。

 Kはすぐに実行に移しました。
 あくまで自分は別の人間だと言い聞かせつつ、クラブに行って、人の眼を気にしないように趣味のジャグリングをやってみたそうです。
 そうするとやはりジャグリングに夢中になって、あまり周りが気にならなかったようで、しばらく自信を取りもどしたようでした。


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