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もういない君と話したかった7つのこと #02

▼1つめ 力を抜いて「平凡な自由」を考えよう


いろいろ働いてはみたけれど……


 自殺する前によく「自由になりたい」と言っていたK。
 僕には彼の気持ちがよく理解できます。
 最初に僕自身の話をしておきましょう。

 今、僕は文章を書いて生活しています。
 けれども、それ以前には会社勤めをしていたし、フリーター的な働き方をしていたときもありました。
 土木作業員、ホスト、デザイナーまで、それこそ出来ることならなんでもやりました。
 そうしたことを経てきて、いまの文筆業というのが、一番自由だと思っています。
 29歳で本を出すまで、いろいろ働いてきましたが、いつも何かしらの不自由さを感じていました。
 決して大ベストセラーを出しているわけでもないですから、収入はそこそこです。
 けれども、僕の場合、時間的な拘束がどうしても我慢できない性質なのです。
 たとえ「朝9時に近所の電柱にタッチして帰ってくるだけのお仕事です」と言われても、つらくなってしまうでしょう。
 内容がどうとかではないんです。
 毎日、誰かに決められたことを決められたようにこなすというのが、もう苦痛だということです。


監獄のような高校時代


 僕が自由になりたいと思うようになったのは、昔、不自由だったことへの反動です。
 一番不自由さを感じていたのが、高校時代です。
 通っていたのは山奥の全寮制高校で、外に出られるのは2ヶ月に1回。1部屋が36人なのでプライバシーもなにもありません。
 しかも男子校のうえに、校則やそのほかの規則が異常に厳しい学校でした。朝は陽が昇る前に起きて掃除をして、ひたすら体を動かし続けます。
 当時は日本中で家庭内暴力や校内暴力や非行が問題になりはじめた頃で、この学校には、そういった荒れた生徒たちを鍛え直す施設のような側面がありました。
 要は、学校に閉じ込められていたわけです。
 娯楽もほとんど禁止されているから、ただ本を読むくらいしかやることがなかった。
 そういった経験からどうしても不自由さはずっと感じていました。
 その反動でしょう、今も「自由に生きたい」とこだわっているのは。
 すごく貧乏だった人が、お金持ちにあこがれるみたいなものと一緒かもしれません。
 このときは身体的な拘束で不自由でした。
 ところがある意味ではそれよりもっと不自由な時期がありました。
 それはサラリーマン時代です。
 高校時代と比べると身体的には圧倒的に自由です。
 バイトをしていた頃より薄給でしたが、一人暮らしを始め、食べるものも自由だし、休みの日もある。
 けれど、どこか、心が満たされないのです。
 むしろ毎日、「ああ……このまま人生が終わっていくのか」「本当にやりたいことはこれじゃない」「いつまでこれを続ければいいのだろう」「自分はなにをやっているのだろう」とうつうつとしているばかりでした。
 そのうち本当にうつ病になり、病院へ通うようになりました。
 幸い一年くらい過ぎたころから徐々に回復し、会社を辞める頃にはずいぶんと良くなっていました。
 しかしその一年は本当に苦しみました。
 実際は苦しいという気分さえなく、ただ頭が軽石のようにスカスカで、感情が消え、なにひとつやる気が起きないのです。
 特に僕の場合は夜がキツく、ほとんど眠れずに死ぬことばかりを考えているうちに朝が来ている、というような状態でした。
 こればかりはうつ病になってみないとわからないかもしれません。
 本当に生きていること自体が拷問のような状態でした。


ひねくれ者のKが本当にしたかったこと


 僕は、自由には外見的なものと内面的なものがあると思います(さらに、前向き・後ろ向きな自由というものもありますが、これはあとで述べます)。

 会社を辞めて上京したあと、フリーでデザインの仕事をやるようになってからは、肉体的にも心理的にもかなり自由でした。その頃に、僕は一人の若い友人と出会いました。
 冒頭でも述べたKです。
 Kは当時16歳で、高校を中退して、兄がいる東京へやってきたのです。
 友人の家で出会ったKは「なんで?」「どうでもいいよ」というのが口癖のひねくれた少年でした。
 家が近かったので、そのうちなんとなく会って話すようになり、よく一緒に本や映画の話をするようになりました。
 おそらく、学歴もお金もないのになんとなく自由な僕の境遇を見て、Kは同じようになりたかったのだと思います。実際にそう言っていたこともあります。
 自由になりたいと望むと同時に、彼はこんなことも言っていました。
「自分がこの世界で生きて、本当にやり遂げたいこと。それは死ぬことだ。生きていて、『自分の興味があることをやれ』って、みんな言うけど、興味があるのは死ぬことなんだ」
 まるでトンチみたいな話です。
 誰もが本気だとは思っていませんでした。
 生きてるからこそ「死」について考えられるわけで、本当に死んだら考えられないですよね。
 それは思春期特有の、たんなる《《はしか》》みたいなものだと思っていたのです。
 けれどそれからしばらくして、Kは本当に言った通りに死んでしまいました。

 余談ですが自殺は遺伝しません。必ずしも病気だとは限らないし、自殺について話すことが自殺念慮を引き起こしたりもしません。これらはかつて信じられていた俗説であって、根拠のないことです。
 しかし、「死ぬ死ぬ」と言う人は自殺しない、というのも?です。自殺は衝動的に起こることはあまりなく、たいてい計画されています。
「WHOによる自殺予防の手引き」によると、自殺予防には0~6までのレベルがあります。0は全く問題がなく、5~6は精神科医に相談すべきラインです。
 計画が漠然としている場合は危険度が中くらいと言われています。もし、具体的な方法まで決まっているとしたらそれはかなり危険です。
 Kの場合はすでに何度か実行していたようですので、相当危険なレベルにあったのでしょう。
 僕はそのことをもっと重くとらえるべきでした。

「死ねば楽になる」は本当か?


 結局、誰がどんなに説得しても、彼に死の魅力以上のなにかを提示することができなかったのです。
 僕たちは、いろいろなことを話しました。
 生きていれば楽しいことはあるか?
 死んだら悲しむから自殺すべきではないのか?
 なんでもできるとしたらなにをするか?
 16歳のときに出会ってから23歳までの7年間、Kはなんとか生きていました。
 それでもやはりKは納得できなかったようです。
 あのとき、どういう台詞せりふで説得すればよかったのだろうか。今も考えますが、おそらく僕がそんなことを考えること自体が、Kにとっては「どうでもいい」ことなのでしょう。
 彼にとって、生きるか死ぬかの問題とは徹頭徹尾、自分の問題であって、社会や他人の手を借りて解決するような問題ではなかったからです。

 そんな彼が死んだときに脳裏に浮かんだのは、1冊の本でした。
 ドストエフスキーの『悪霊』です。
 ここに出てくるキリーロフという男が、まるでKのようなことを言っていたのです。
『悪霊』は、ロシアの作家フョードル・ドストエフスキーの長編小説で、1873年に単行本として出版されました。
 時は1869年。ロシアの地方都市を舞台に、心に虚無を抱えた天才的な美青年スタヴローギンと、すべての人間を利用しようとする革命家ピョートル、その2人に翻弄される人々の姿を描いた小説……と説明するとものすごく簡単そうなのですが、その内容は思索的で登場人物も多く、最後まで読み通せずに挫折する人も多いようです(僕もかなり苦労し、何度も挫折しました。読み終えたのは作家になったあとです)。
 キリーロフは、このなかでスタヴローギンに影響された、ある思想を持って現れます。
「神がいるとしたら、この世界のすべては神の意志のもとにあり、自由意志などない。しかし、神がいないなら自由意志はあり、自殺こそ究極の自由意志だ」という、人神思想というものです。
 要するに、「自殺によって、人が神を超えたことを確認する」ということになります。
 なぜならばキリスト教において自殺はきんであり、神の意志に背くものだからです。
 それを自分で選ぶということは、神の意志の外に出ることに他なりません。
 これこそ究極の自由です。キリーロフは結果的にそれを実行します。

 Kはドストエフスキーを読んではいなかったのですが、彼の、
「自分がこの世界で生きて、本当にやり遂げたいこと。それは死ぬことだ」
 というのは、まるでキリーロフのようだと感じたのです。
 なぜ、Kはこのような思想に至ったのでしょうか。



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