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なぜ自己啓発本を読んでいるのがバレるとお互い気まずいのか

先日、cakesの桃山商事のある記事を読んでいて、疑問が生まれた。

「彼氏の部屋の本棚に自己啓発本が並んでいたら、距離を感じる」:桃山商事

このタイトルは言い得て妙というか、自己啓発本で距離を感じることはあっても、自己啓発本をきっかけに誰かと急速に仲良くなるというのは新興宗教か怪しいセミナー以外のシチュエーションが思い浮かばない。もちろんこれは完全にガチガチの偏見だ。怪しい組織が関わっていない学びの多い自己啓発本も世の中には沢山あるはずなのに、それでも身近な人が自己啓発本を手にしているのを見てしまった時、お互いに気まずくなるのはどうしてなのかと疑問に思った。

まず、”自己啓発本を読む人”でググったところ、上位のおすすめに出るのはほとんどネガティブな内容ばかりだった。自己啓発本を読まない側の大多数が、読む側に対してあまり良い印象を抱いていないようだ。一番わかりやすい記事がこちら↓メンタリストのDaiGo氏のブログ。モントリオール大学の研究結果を引用して説明されています。

Mentalist DaiGo Official Blog :  年に4冊以上読んだらアウトな本とは

(↑クリックするとリンクへ飛びます)

その他ほとんどのサイトが同じような内容だったが、ざっとこのような事が指摘されていた。

①自己啓発本にハマる人はメンタルが繊細すぎる

②自己啓発本を読んだだけで何かした気になってなんの成長もない

③自己啓発本を読む人は他人に洗脳されやすい傾向がある


まあ一理ある気もする。自己啓発本を読む人に対して、多くがこんな印象を抱いているから否定的な意見が多いのかもしれない。だが近しい人が自己啓発本を読んでいることを知った時の気まずさを説明するには、それだけでは足りない気がした。

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実は私も、自己啓発本を読んだ時期が何度かあった。最初は、二十歳そこそこで、海外で暮らしたいと思った時。絶対にやってみたいと意気込む自分の気持ちとは裏腹に、周りには反対意見も多かった。「そんな夢みたいな事できるわけない」「どうせうまくいかないから時間と金の無駄だ」。とにかく若かったから、反骨精神でやり遂げてやると思ってはいたが、不安がない訳ではなかった。そしてそんな時、本屋で手に取ったのが自己啓発本とされる類の書物だ。それは世界の”成功者”の名言を連ねた一冊だった。そして中でも印象に残っているのが、マイケル・ジョーダンの言葉の一部分。

多くの人が僕にお前には無理だよと言った。
彼らは君に成功して欲しくないんだ。
なぜならば、彼らは成功できなかったから。
途中で諦めてしまったから、 君にもその夢を諦めて欲しいんだ。

これを胸に反対されても挑戦したから今があるとも思う。だけどこの本がなかったら挑戦しなかったかと言われたらそんなことはない。要するに、あの時ちょっと勇気が欲しくて、自分に都合のいい言葉で背中を押されたかったのだ。だって行くことは決めていたんだから。ジョーダンの成功からは比べようもないほど遠いが、細々とでも外国で自活できるようになったのだからまあ御の字である。

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2度目の自己啓発本読み漁り期は、30代に入る前に「私の人生このままで本当に大丈夫なのか、、、」と30代クライシスを迎えた時である。帰国して本屋に行けば、その手のコーナーを血走った目でウロウロし、その時の自分に取って必要そうな金言を探していた。そして手に取った本の中で唯一覚えているのが、松下幸之助道をひらくである。

この本は昔からのベストセラーの様で、大体の本屋には置いてありそうなものだ。その当時は自分のやることなすこと全て、これでいいのか訳が分からず、誰に何を聞いたらいいのかも分からない泥沼で、四苦八苦している様な心地だった。そんな状態だから、なんでも有り難く読んで理解でもせねば自分に明日はないと、鬼気迫る思いで縋ったというのに、結局のところ何の役にも立たなかった。全てのことに感謝を忘れるな以外の内容はあまり覚えていない。

数年後、断捨離をしている時に発見したが、開いて読んでみても、古い日本の考え方で固められていて、親戚の爺さんに説教されている様な気がしてうんざりし、とてももう一度読む気になれず処分してしまった。多くの自己啓発本には、「そんなこたぁ至極当然だ」という様な事がもっともらしく書かれている。健康な時はバカらしく思うアドバイスも、参っているときには有り難く感じるのだ。

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振り返ってみると、私が自己啓発本を買う時は、精神的に不安定な時だった。この先の人生、仕事、どう向き合ったらいいのか不安な時、藁にもすがる思いで自己啓発本コーナーに向かう。それが問題を解決してくれたかと言われたら何とも言えないが、慰めにはなったと思う。少なくとも自分は、この状況を少しでも良くしようともがいたのだから。前述したほとんどのサイトではその「特に結果をもたらさない無駄な努力」として自己啓発本の効果を否定しているのだろうが、私はそれでもいいと思っている。自分だけで何でも解決できたら素晴らしいことだがそう何もかも上手く行くことばかりではないし、的確なアドバイスをくれるひとがいつも側にいるとも限らない。無駄な努力でも、とにかく自分は立ち向かおうとしたんだと、ちょっと自分を受け入れられる。そして不器用な自分がちょっと愛おしかったりする。

私が二十歳で初めて自己啓発本を手にした時、それを見た友人は、あからさまに否定した。「こんなもの読んで、、、!!自己啓発本なんて読んだら終わりだよ!!」彼女は自分の内面のコントロールを他者に影響される様な事を嫌っていた。悩みも自己完結し、完結してから他人に報告する様なタイプだった。

納得はいかなかったが、それ以来、私の頭には「自己啓発本を読むのは恥ずかしい事と多くの人は思っているから隠すべし」とインプットされた。

自己啓発本を読んでいる事がバレる時、読んでる方は「私、自分の現状に満足してません。このままじゃダメだと思ってて、誰かのアドバイスが欲しい」と、表立っては言わない密かな野心、もしくは悩み、弱みの露呈が気まずく、見つけちゃった方は、「打ち明けられてないけど、実はこの人、自分の現状が不満なんだな、、、」と見せられるはずじゃなかった一面を見せられて思わず動揺してしまう。自分も、相手が納得できていないその現状の一部を担っている事を図らずも意識させれらるというのも衝撃の一因ではあるまいか。

知らなかった友達、家族、恋人の一面が垣間見える時、その一面を受け入れるのか、引いてしまうのか、一瞬の逡巡が見え隠れするからお互いに気まずい。それこそが気まずさの原因なのではないかと考察する。見てはいけないものを見たような気まずさ。

一体何を長々と書いているのか私は。

親しき仲であろうとも、お互い全てをさらけ出しているわけではないのだ。当然だけど、、、。自己啓発本を手に取るほどに何か悩みを抱えているであろうことが透けて見えるから、単純に周りの人の心配を煽るのかもしれない。


今後、本屋で自己啓発本コーナーに吸い寄せられる時、ああ今自分は悩んでいるんだな、と認識するメンタルバロメーターとなりそうです。



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