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わたしの 「わたどこ」との付き合い方


わたしが出演している長編映画「私はどこから来たのか、何者なのか、どこへ行くのか、そしてあなたは・・・」(タイトルが長いので、通称「わたどこ」としています。)が、2月11日(土)から 渋谷のイメージフォーラムにて公開される。

北尾和弥監督が 自身の世界観を突き詰めて創りあげた この作品を、ぜひ たくさんの人に観ていただきたいと思っている。

ところが。この映画は、魅力を言葉で伝えることが、とても難しい。「どんな作品?」と聞かれて、あれやこれや言葉にしてはみるのだけれど。全然 うまくいかない!興味を失ってゆく目の前の人を引き止められず…自分の無力さに もどかしい思いをすることが、なんと多いことか。

普段、わたしは、作品について言葉を重ね過ぎることを危惧している。特に 作品を観ていただく前には。誘う言葉は最低限で。作品の意図や、役について語るのは野暮なのではないかと。

だけど。この作品は、どうだろう。
きっと初めて観るだろう その成り立ちに戸惑う人も多いであろう作品だ。
少し、観るための心構えのあったほうが、世界に入りやすいのではないだろうか。

「言葉」を浴び続ける作品だ。
ひとつひとつキャッチしようとすると 何がなんだか わからなくなる。浴び続けている中で自分の中に自然に落ちてくる言葉が 波紋を起こし、思考を促す。

撮影の方法も独特だったので、当時、北尾監督に質問したことがあった。「それを説明するには、朝までかかりますねぇ」といったような返答で、結局わたしは、聞かないままに 撮影に臨んだ。
わからないままでいい、と思ったのだ。演じるうえで、わかる必要はないのかもしれない、と。それは、理屈や言葉でわかる必要はないということで。感覚的に「ちがう」があってはいけないのだけれど。それはなかったので 委ねてみようと思ったのだ。

映画公開にあたって、北尾監督の回顧録やホームページの文章で、その真意が語られていて、とても面白く読んでいる。北尾監督自身も、撮影当時には明確に言葉にできなかったと 後に聞いた。公開にあたって、作品に興味を持ってほしい、そのために伝えたいという強い思いから、言葉で表すために、日々向き合っているのだろう。そして それは、これからの作品創りに役立ち、さらなる高みを目指せるのだろう。

映画祭のインタビューなどで、自分なりに作品や役について話すことはあるけれど、ぴったりと正確に言葉にできていない気がして。ズレている気持ち悪さと もどかしさに いつも悩まされる。厳密さに拘りすぎているのかもしれない。

言葉でのコミュニケーションは、絶対に100%ではない。それでも、わたしたちは言葉を駆使して伝え合おうとする。努力し続ける。

それこそ、この映画なのかもしれない。
と、ふと思う。

北尾監督に刺激されて。
わたしも、言葉と格闘して、わたしなりの視点で書いてみようと思う。真剣に、でも拘り過ぎて 仕舞いこんでしまわぬように。

わたしの この映画との 付き合い方です。

興味を持っていただけたら
ぜひ 劇場にいらしてください。

そうしたら作品について、
あなたと対話がしたい。

きっと、なんて感想を言ったものかと、
ぐるぐるぐるぐる するでしょう。

大変で、だから楽しくて。

そんな体験になると思います。

サポートしていただけたら とっても とっても 嬉しいです。 まだ 初めたばかりですが いろいろな可能性に挑戦してゆきたいです。