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【エッセイ】紅茶のある時間

 私は紅茶を飲むことが好きだ。けれど、紅茶を飲まなくても生きては行ける。それでも私は紅茶を飲む。紅茶の味、香りが好きだから。そして、紅茶を飲む時間そのものを大切にしているからだ。

 紅茶のある生活は私にとってはとても当たり前のことで、自然なことだ。ティーポットやマグカップは特に高価なものではない。自分が気に入ったものだ。それらと共に過ごすティータイムは私に日常を少し休ませ、これまでを振り返ったり、これからを思ったりすることにそっと力添えをしてくれる。

 紅茶には多くの種類があるが、たとえばアールグレイでも、メーカーによってそれは様々な味になっている。基本となる味はアールグレイであっても、その香りが少し違ったり、味わいが少し違ったりする。そういった表情の違いを持つ多くの紅茶を買い、自宅で飲む時間は私に確かに安堵をもたらす。何故、それが私にとって紅茶であるのかは分からない。私は読書も好きだし、散歩も好きだ。そういったささやかな趣味の中で、紅茶を飲む時間は私にとって特別で大切であると同時、とても自然なものになっている。

 温かい紅茶も、アイスティーも私は好きだ。ストレートで飲むのも、ミルクティーにして飲むのも好きだ。スパイスの効いたチャイも好きだ。おいしい紅茶を飲んでいる時、私は「おいしいなあ」しか考えていないこともある。その単純なことがとても幸せだ。また、前述したように昔のことを振り返っていたり、これから何をしようかなと考えていたりもする。

 連続して続いて行く日常生活において、ほんの少し手を止めてくつろぐ時間を私は大切にしている。休むきっかけというのは人によって様々だろう。それが私にとっては紅茶なのだ。

 明日に向けて頑張って行くことを見守るようにして、紅茶はいつも私の隣にいてくれる。そのことに感謝し、大切に思いながら、今日も私は紅茶を飲んでいる。

 

#自分にとって大切なこと


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