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【エッセイ】なんだかおいしい、母の料理

 母が作ったうどんを、ふと思い出した。煮込みすぎているのか、くたくたの柔らかいうどん。それでも――あるいは、それだからこそおいしかった。私はうどんはそういう食べ物だと思っていた。 自分でうどんを作って食べてみた時は、もちもちしていておいしかった。うどんはもちもちした食べ物と知った。 でも、母が作ったくたくたのうどんが食べたい。

 時々、自分の心の内側にカンテラの灯を灯して照らすと、こういった思い出に再会する。

 母は料理がうまい方ではなかったような記憶がある。天ぷら、うどん、そうめん、カレーライス、シチュー、餃子、焼き魚、おにぎり。これらを繰り返していたような感じがする。だが、どれもが「なんだかおいしい」のだ。

 父が入院中、母に「天ぷらが食べたい」と希望したらしく、母が作って病院に持って行ったことがあった。いま思うと入院中に天ぷらを食べて良いものなのか疑問だ。だが、父の気持ちがいまなら分かる。母の料理は特別なものではないのかもしれないが、とにかく味が頭に残る。「なんだかおいしい」ものなのだ。

 暑い夏の日に、ぬるい冷房が入った部屋で食べる母の作った天ぷらとそうめんがとてもおいしかった。熱々の出来立ての天ぷらに冷えたそうめんが合うのだ。喉に詰まったら氷水をぐいっと飲む。天ぷらの種類は多くなく、にんじん、たまねぎ、じゃがいもなどだが、どれもなんだかおいしいのだ。特に夏休みの間はお昼ごはんが天ぷらとそうめんの日が多く、それを出されると子供心に「また同じ」と思ってしまうのだが、食べてみるとそんな気持ちも吹き飛んでしまう。「なんだかおいしい」と思って夢中になって食べてしまうのだ。

 自分で料理をするようになって、母が作ったカレーライスやおにぎりを再現したくて作ってみるのだが、どうもうまく行かない。(天ぷらは私が揚げ物を怖くて作れないのでパスだ。)特におにぎりはお米を炊いてにぎって塩と海苔だけのものだから簡単に再現出来ると思っているのだが、同じ感じにはならない。不思議なものだ。料理とはそういうものなのだろうか。

 子供だった時間を離れて私は大人になったが、いまになって無性に母の作った料理が食べたい。「なんだかおいしい」、母の手作りのごはんが恋しいこの頃だ。

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