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【エッセイ】庭を持つこと

 電車の窓硝子に赤いチューリップを植えることは出来ない。三日月の上に座ることは出来ない。ボールペンの黒インクを音符に変えることは出来ない。何事にも可と不可があり、向きと不向きがある。

 良く、世の中の出来事は何もかも二種類に分けることが出来ると聞くが、あながち嘘でもないと最近の私は思う。

 初めて、その言葉を聞いた時がいつだったかは忘れてしまったが、当時は間違いなく「そんなことはない」と思ったことはしっかりと覚えている。何もかもが二つに分けられるわけはないと、強い憤りすら感じた記憶がある。何故だろう。今、思うにだが、世の中には無限の可能性があって、事が単純に二つに明快に分けられるならば苦労はないし、逆に、幸福もないと思ったのかもしれない。そこまで具体的な心情があったわけではないと思うので、あくまでも推測になるのだが。そして、その考え自体を今も否定する気にはなれないのだが、「二つに分けられる」ことに頷いてしまう自分がいつしか生まれてしまったことも事実だ。

 幸福な人間と不幸な人間の違いは何だろう。また、その境目はどこだろう。人間を二つに分けるとして、たとえば幸と不幸で分けたとするならば、何がどう違うのだろうということを、私は時折、考えている。それは本人の自意識の問題であって、他者が、こうだと分けることも判断することも認識させることも不可能なのかもしれないが、一つの具体例を挙げるとするならば、私は多くの「庭」を持つ人間が幸福ではないかと考えるようになった。

 何も実際の庭を多く持っている人間が幸せだという話ではない。ここで言う庭とは、自分がその身を短時間でもいい、置くことの出来る場所のことを指す。自分の家、友人の家、学校、図書館、ファミリーレストラン、喫茶店、電車、カラオケルーム、洋服店、文房具店、書店、雑貨店、公園。それはどこでも構わない反面、個々人によってはそうはいかない。あくまでも「その人」が「庭」だと認められるところでなければならず、また、「庭」からも受け入れて貰わねば、関係性は成立し得ない。電車の窓硝子に赤いチューリップを植えることは出来ない、とは、こういうことだ。たとえ、チューリップ自身がそこに咲きたいと思ったところで受け手がそれを許諾出来なければ不可能というものだ。これは人間関係にも似ている。お互いがお互いを認め、受け入れなければ、お互いの望む関係性は築けないのだから。とは言え、人間は個別の生き物であるがゆえに、互いがぴったりと同じように望む関係など築けるわけはないのだが。

 話を戻す。幸せになる為にはどうすればいいのかなどを説くつもりはないし、幸せとはそれこそ個々人の判断によるものだ。これが幸福であるという定義など、どこにもない。だが、寛げるスペースが多くある人は、心にも同様に広いスペースを持っているように思う。それは、しばしば余裕や優しさとたとえられ、その人自身も、その人の周囲にいる人も、とてもあたたかな暖炉の前にいるような気持ちになれると思うのだ。まるで、幸福を享受しているような。出来るなら、私は暖炉になりたいと思う。どんなに寒い日でも、そこに向き合えば、小さくてもあたたかさを感じ取って貰える存在に。

 何故、私はこのように思うようになったのか。私は私の時間を私なりに生きて来たつもりだが、随所に失敗が多く見受けられるように思えた。あるいは、小さな躓きの繰り返しが私に本来の道を忘れさせ、きちんと振り返ることや正しく前を見据えることを難しくさせたように思う。それは性格によるものなのか、環境が悪かったのか、単純に運によるものだったのか。分からない。だが、分かっていることは、私を見放さずに一言一言の話を聞いてくれ、助言してくれ、緩やかでも元の道に戻って行けるよう、あるいはまた別の可能性を選べるよう導いてくれたカンテラの灯のような友人が幾人かいるからこそ、私は今、こうしてそれを言葉に残すことが出来ているに他ならない。 

 誰しも、絶望や挫折や苦渋があると思う。私のような、おそらくはまだ短いと言い表せられるであろう私の人生と呼べるものの中ですら、腐るほどにあったのだ。そのたびごとではないが、私は生きて行くことに不向きではないかと考えたことが幾度もある。何事もが向きと不向きで分けられるにしても、生きて行くことにそんなものは存在しない、不向きだなどと考えることは甘えだ、何が何でも生きて行くとどうして思えないのだと、何度も自問しては自分を追い詰めた。

 傍から見たら要因は単純なことだったのかもしれない。学校が苦痛、学校が終わったところで何をしていいか分からない、仕事先でうまくいかずに辞めてしまう、資格取得試験に落ちる、それでも何とか現状を打破したくて私なりに考え、考え、考えて日々を過ごして行ったはずなのだ。こうして言葉に起こしてみると、要因も、その後も、至極単純で、くだらないことのように思える。だが、そこには間違いなく私という個が存在し、その環境に向きか不向きか吐きたいほどに考え、決断して来た自分がいるのだ。

 私に行く場所は多くなかった。たとえになるが、自己を中心とした半径何キロメートルかの円の中をぐるぐると廻っていたように思う。実際の行動も、思考回路も。逃げ場がないのだ。落ち着けない。気を休ませることが出来ない。いつも、同じようなところをうろうろとして、考え続けている。ここにいていいよ、と無言でも言って貰うことがなかった。だが、やがて私は少しずつ、相談するということを覚えた。今まで、相手の負担になると思っていたのもあるが、結局のところ自己責任の行動の結果が今の私を私たらしめていると思い、罪悪の念すらあり、友人に相談するということが私にはなかなか出来なかったのだ。また、相談したところで、現在の私が持っている他に選択肢が浮かぶはずもないと漠然とだが思っていた。失礼な話かもしれないが、期待も希望も持てなかったのだ。

 だが、私は間違っていた。おそらく。相談することは自らの考えの整頓にもなり、また、まるで当然のように他者は私とは違う考えを持っていることが多くあった。重なる部分もあったが、それはそれとして共感になり、心が安らぐ。その上で、こうしたらどうだろう、という助言や可能性の道を示して貰えることは涙が落ちるほどに安堵出来た。決して大袈裟などではない。

 私にはいつも、イチかゼロかしかなかった。会社がつらいなら、我慢して頑張るか、辞めるか。いつも、そういった具合だった。中間点がないのだ。辞めるにしても別の会社を探そうという未来すら見られない。ただ、ひたすらに辞めることへの罪悪感と叱責の念が溶けない雪のように降る。降り積もる。そして、やがて動けなくなる。それの繰り返しに、自分でもほとほと疲れているのだが、私は先達ての簿記の試験で三級に受かることが出来た。未来はこうして動いて行くのだ。自分で、また、友人の助けを借りて、動かして行くものなのだ。

 何故、友人は私の話を聞くことが出来たか。理由は様々あるだろうが、私は、ひとえに多くの庭を持っているからではないだろうかと思うのだ。心を落ち着けられる場所が多くあるということは、心の負荷も少しずつそれぞれに振り分けられ、自身に降り掛かる重量というものが軽減される。それが前記したように、余裕や優しさに繋がるように私には思えてならないのだ。

 私は、作家になりたいと思っている。なるしかないと思っている。私にはそれしかないと思うからだ。それは確かに私の人生とでも言うべきものを支えてくれているのだが、その一点のみを直視し過ぎていて、周囲も足元も足跡も、あまり見えていないのではないのかと、最近になってようやく思ったのだ。気付かされた、と言った方が正しいのかもしれない、友人によって。たとえば、泣きながら電話をして来た友人に対して私は冷静に話を聞き出し、落ち着かせ、明日を見ることの出来るよう伝えることが出来るだろうか。少なくとも今の私には難しいのではないだろうか。

 経験の多さが、必ずしも面白い話を書くことの出来る作家に結び付くとは限らないだろう。だが、近頃の私はその為だけではなく、もしも自分がチューリップの球根ならば、どこの土の中にいたいと思うだろうということを考えて、あちこちへと出掛けている。自分というものがひとつだとは限らない。心がひとつだとは分からない。だから私は幾つもの自分を無理なく置くことの出来る場所を求めて、少しずつ毎日を生きている。そして、それぞれの庭で、私は心を預ける。遠くない未来に芽吹いたり花を開いた時にはもっと、私は私が似合う人になっていると信じて。

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