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「僕はどうせ幸せになれない」

いつからかそう思っていた。「幸せになってはいけない」にも近い。なにか楽しいことや嬉しいことがあると”揺れ戻しがくるぞ”と思う。

幸福の後には何か悪いことが起こる気がする。それは実際に今までそうだったから。そして、幸福は続かないと知ってしまったから。永遠なんてない。みんな知ってることのはずなのに、どうしてそれでも生きていけるのか僕にはわからない。どうせ死ぬくせに辛いなんておかしいじゃないか。そう。どうせ死ぬのだからできるだけ幸せに、穏やかに、やさしく、辛いことを少なく生きていたいのだ。それなのに、そんなの無理だと自分で決めつけている。

期待すると疲れるのだ。今度は大丈夫かもしれない、という淡い期待が今まで何度裏切られてきたことだろう。他人に期待しないことが上手に生きる方法だといろんなところで見るが、他人には期待するくせに自分には期待できない。自分が自分に応えてくれない。「お前にはどうせできない」と、他の誰でもない自分が自分に言っているんだ。どうしてこんな人間になった?


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僕の”悲観的観測”は「どうせ幸せになれない」である。幸福なんて曖昧な言葉を使う人ほど不幸であるなんてどこかで聞いたけど、全く本当だと思う。でもそれを求めてしまう以上はこの言葉を使うしかない。

では、僕がこんなにも欲している幸福とはなんだろうか。とても難しい。一言で言えるものではないけれど、確実にその一端を担うのは、誰かの「生きてるのも悪くない」になることだ。この場所があってよかった。生きてて、死ななくてよかったと。そう思える時間を過ごすことと、それを与えること。やさしい時間を生きること。それは幸福と呼んで有り余るだろう。

ここでも書いたけれど、僕は大丈夫になりたい。誰かの大丈夫になりたい。そして僕の大丈夫をつくってくれたのはコーヒーと甘いものと好きな本が作るやさしい穏やかな時間だった。好きな喫茶店がある。あの場所でまたあの時間を過ごせるのなら生きていける。行きたい喫茶店がある。あの雑誌で見た場所でコーヒーを飲むまで僕は死ぬことはできない。誰かが好きだと言っていたあの本を読むまでは、映画を観るまでは、僕は死ねない。

人は自分が生きていく理由を日々作り出している。それは「自分はいつかわからないが必ず死ぬ」ということを自覚している人間独特の感覚だと思う。その必然の死が”今”ではない理由を見つけないと立っていることすらままならないんだ。その理由は人により、音楽だったり大切な人だったり映画か食事か…本当に人の数だけの小さいものから大きいものまで無数の生きていく理由を抱えて私たちは人生を続けてる。それがあるから続けていけるんだと思う。

甚だ傲慢である。誰かの生きる理由になりたいなんて。私ごときが、とよく自分にツッコミを入れてる。しかし僕はあの夜、コーヒーに救われてしまった。そして同じような人を救いたいと思ってしまった。自分が生きていくために。そう、これは圧倒的にエゴなのである。分かっている。でももう、僕はこうするしかないんだ。そんな気がする。


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僕はどんな場所を作りたいのか。いろんなことを日々思い描いている。

多分そこは薄暗くて真夜中までやっている、コーヒーとほのかな木の香りがする、10人ほどしか入れない、小さな古本屋さんで雑貨屋さんな喫茶店だ。カウンター4席、二人掛けテーブルが3、4個かな。ドアベルは小さなトライアングルがいい。透明な小さくて綺麗な音がする。あいさつは「いらっしゃいませ」じゃなくて「こんばんは」にするんだ。

最初はすごく本が少ないけど、お客さんが一番好きな本を書いていってくれればそれを仕入れる。それを繰り返して、「誰かの一番好きな本」だけが並んだ本屋さんにしたいんだ。それはとても美しいことに思える。

雑貨はどんなのがいいかな。思わず手にとって部屋に置いておきたくなるようなかわいいものをたくさん集めたい。僕が雑貨屋さんに入ってよく思うのは、見ているだけでかわいいなあってこと。だから、来てくれてそれらを見ることで少しでも穏やかな気持ちになれる人がいたなら嬉しい。

コーヒー豆は手挽きしたい。電動ミルの駆動音のうるささが唯一喫茶店で嫌いなところだから。少し時間はかかってしまうだろうけど、静かな時間の方が僕には大切だ。ネルドリップで淹れるコーヒーはとても深くて優しい味がする。サイフィンもいいなって思う。火が灯り、コポコポと音を立てながらコーヒーが入る。綺麗だ。

いろいろな季節の花を飾ろう。小さくて儚い、かわいい花をテーブルに一つずつ。花言葉を教えてあげる。

どうしようもなくつらい夜に、自分の好きな本、もしくは誰かの好きな本を読みながら、あたたかくて深くて濃いコーヒーを飲む。ゆっくりした音楽が小さく流れている。甘いホットドリンクをたくさん用意しよう。少しだけならお酒も出したいと思っている。甘くてかわいいケーキを少し作れるようになる。それは夜を越えるために必要なものたちだ。

そしてできるなら、そこで一匹の黒猫を飼いたい。猫を見ていると、人間はなんとあくせく生きているのだろうと実感する。ただ丸くなって寝ていたり、ボーッと外を眺めているだけで充分じゃないのかと、彼らはそう思わせてくれる。また、あのかわいさは全てのネガティブな感情を一時的に抹消する力を持っている。

寂しくて悲しくて消えてしまいたくなる僕たちには、やさしい夜が必要なのだ。それをつくりたい。


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もう、どうせ幸せになれない、なんて言いたくないんだ。一人で泣いてる夜はもうお腹いっぱいだ。

「ここにいれば大丈夫」「こんな時間があるなら、生きてるのも悪くはない」と思える場所を作りたい。そんな場所で生きていたい。全ての夜を恐れる人にやさしい夜を届けたい。自分のために。僕が幸せになるために。

僕は弱い。そして弱いままの僕が成し遂げる。そしてその僕が「幸せだった」「しかしそれに何の意味もなかった」「でも、それでいい」と胸を張って言って死ぬんだ。そう思わないでどうして生きていけようか。

最後まで読んでいただきありがとうございます。 あなたの心に何か残れば幸いです。