つくらないのか、つくれないのか
ぼーっとすることは好きだが、ぼーっとしていると不安と焦燥感に苛まれる。
なんとなく昔から、何かの成果を挙げなければ価値がないと思っているフシがあり、仕事をしながらでも、遊んでいても、創作することばかり考えている。
最近は作詞作曲のことばかり。メロディを考えては既視感を覚えて捨てる。適当にフレーズを思い浮かべて意味わからんと捨てる。そんなことの繰り返し。
影響を受けないまっさらの方が新しい発想に繋がると思っていた。極一部の天才の話だ。凡人にできることは、あらゆる既存を組み合わせたり割る2したりして、なんとか抜け道を探ることくらい。結局名曲の兆しなんて見つからない。
先週の三連休は、土曜日に買い物に行った以外、その夜から月曜日の夜まで、睡眠時間も程々にずっとDAWとノートに向き合っていた。
何を作り上げたかは置いておくとして、連休最終日の夜、風呂に入りながら、なんだか虚無感に包まれていた。
その正体は一体何だったんだろうと考えたが、答えは出ない。ただ、何もせずぼーっとして、ああ無駄に一日を終えてしまった、と呟く人生の方が幸せなのではないか、と。
人生において趣味を持つことは必要不可欠だと思う。遊びに全力を出すのは正しいことだ。だけど深入りしすぎると、負担になってしまうことも事実だ。
趣味の息抜きに料理をする。それが休日の過ごし方になってしまっているような。
楽しければなんでもいいじゃん、と言いたいが、創作することは、辛い。
AIの描くイラストがメジャーになっている。メジャーになった、というよりは流行が落ち着いて浸透してきたというべきか。
自分の観測範囲だけなのかもしれないが、そもそも絵を描かない人ほどAIイラストにハマって投稿してる気がしている。自分の妄想が十全ではないにしろ形になることが嬉しいのかもしれない。
別に手軽に気軽に描けるものだとは思ってないけれど。とりあえず、絵の練習中なのでまだ手を出すのはやめておく。戻れない気がする。
アメうんたらでMリーグ芸人が放映されたらしい。僕はプロ雀士の名前は幾人か知ってはいるが、Mリーグに関しては切り抜き動画を見る程度。「麻雀好きなのになんで見ないの」って言われたことがあるけど、やるのが好きなだけで、見るのは別に好きでもないよ、と返した。
野球だってサッカーだって同じだろう、って思ったけど、プレイするのが好きな人は観戦するのも好きなイメージがあるな? 観戦するのが好きなだけの人も確かにいるけれど。
あれ、こっちが少数派なのか? もしかして。
Mリーグや対局動画を見たところで、相手もプロ同士だからこそ出来る読み合いで、参考にはならないし自分の腕があがるわけじゃない、って言おうと思ってるんだけど、他のスポーツに置き換えたらボコボコにされそうだな。やめとこう。
自分がなりたかったものをプロの選手に重ねているイメージがあった。応援と言う名目でお金を預け、自分の夢を叶えてくれる存在として。だから必要以上に期待して、人によっては罵声を浴びせるのかな。
身の丈を知ってしまったからこそ、そう感じてしまうのかも知れない。手放しで誰かを応援するって幸せなことだよなあ。
そして、ミスチルみたいな名曲が降りてくる日を待っている。自力だろうが他力だろうがなんでもいい。降りてこい。
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