リアル店舗、リアル関係はどうなっていくのか?在り方を再考する時になる。ぶつぶつ。

「お店」という形態を2012年からの7年間行ってきました。ジャンルでいうと、生活雑貨に関するお店です。うなぎの寝床という会社自体は地域文化商社として、お店の位置付けは九州ちくごのアンテナショップとして、という命題はありますが、ジャンルとしては雑貨店だと思います。食品ではなくて物が中心です。

九州は福岡県八女市という熊本と福岡市内の間くらいに位置する場所にあり、その周辺は伝統工芸などが盛んな地域で、僕らは100件を超える九州の作り手とやりとりをしていました。1月から中国でのコロナウイルス のニュースがはじまり、2月、3月と、僕自身も東京や他の地方都市を出張で行ったり来たりする中で、日に日に近づいてきているなという実感はあり、3月の3周目くらいを最後に、出張を全てとめて、ほぼテレワーク状態に突入しました。

お店は3月末まで運営はしました。3月末までは正直いうと不安をかかえながら(売上もそうだけど、お店に立ってもらう人たちの健康や、そして来る人たちの精神状況も含めて)運営をしましたが、まだあまり、経営をやっている僕らほどは、お店の方々や一般のお客さんたちも、そう危機感を持ってないようでした。

緊急事態宣言後、様々なニュースで情報を集める中でワクチンの期待や特効薬の期待をしていた自分も「これは長期的にかかるし、無理だから、次に向けての判断をしなければいけないな」と思い4/9(木)からの休業を決めました。まずは店舗を1週間休業することを決め、1週間過ごしましたが、やはり、長期化を考えるのと店舗の在り方、ものづくり、そして生活必需品と食品以外の物の在り様が大きく変わるのではないか?という思いから、うちは緊急事態宣言後も6/30日までの休業を決めました。

正直なところを言うと、5/6日の緊急事態宣言後、一時的に需要は伸びるし、お店も人は来ることがみこまれます。しかし、どちらにしろ、それで感染者が減ることはまずないと思われるし、このウイルスの特性上、人が動けば、もう一度感染者は広がるでしょう。おそらく、その波を何度か繰り返しながら少しずつ波はゆるやかになるか、また移動が活発に人間が活動したら、その波は大きくなるでしょう。理科の授業でならったような、人間の活動の波に同調してウイルスによる感染者数、死亡者数も波をつくっていくというのが僕の予想であります。

その中で、店のあり方、人と人の関係性をもう一度大きく考え直す必要があるなと思っています。どうしたらいいのでしょうか?

食品や生活必需品のマーケットと販売は落ちないでしょう。むしろ家で過ごす人が多くなるなか、拡大していくと思われます。その中で、伝統工芸品や地域のトレーサビリティがとれたものづくり、文化を流通、伝達しようとしている僕らが扱っているものは、生活必需品ではありません。しかし、価値がないか?と問われると僕はあると思っています。そのものは、生活必需として時代の流れに乗りながら変化して資本主義としての価格競争や大量生産、機能的価値を追求してきたわけではありませんが、そこには人々のクラフトマンシップと知恵の原点のようなものはあり(僕は手仕事信仰者じゃないので、機械でやれるところはやっていいと思ってます)、その原点にアクセスできる環境が、先進国の日本にまだあるという事自体に価値を感じており、それは継続的に残すことは必要だと考えています。

ただ残せばいいとも思ってはおらず、僕は「ちゃんと残した方がいいという意思をみんなが持っている人が買いながら残した方がいい」と思っています。どういうことかというと、僕らは選択肢を与えるのが仕事で「これを残したほうがいいから買ってください。」ということを言ってはだめで「こういう思考と原理で、こう言う人がつくった知恵の集積が存在しますよ。」ということを知らせて、選択するかどうかの与条件を世間、人に対して投げかけるというのが仕事だと考えていました。

そのための入り口としてリアル店舗(コミュニケーションをとりながら伝える場所)があるという認識をしていました。ただ、そのリアルの不特定多数の接触が難しくなった今、リアル店舗の価値とはなんだろうか?ただネットを通して物の行き交いがされて、雑貨として使われていても、文化にとって意味があるのだろうか?そういうことを日々悶々と考えています。

僕らの目的は一つは「地域文化の自意識化」だとも考えていて、自分ごととして、作り手や、地域のことについて意識して、「誇り」をもったり「やっぱりつまんない」と思ったりすること。やっぱりつまんないと思うこともとても重要だと感じていて、そう自意識的に思うことができたら「じゃあ、自分でこの文化を変えてみよう。」というマインドになる。何も自分ごととして考えないというのが、無関心であり無思考だと思っています。そういう人は平たくいうと面白くないなと思います。僕自身地域文化なんて、全く興味はありませんでした。今も想い入れという観点では「ない」に等しいと言っていいでしょう。でも、地域には脈々と受け継がれてきた土地性や、とても面白い独自に育まれてきた思考を持つ人が必ずいます。いろんな本で読んだ人たちよりも、そこで生活をしていて言葉にリアリティが溢れています。僕はそういう面白い人たちと一緒に仕事をしたい。そう思って今の仕事を継続しているんだと思います。

うちもwebのリニューアルを考えていて(もう2年くらいやってる)、webを強化はしていきますが、最近zoomやネットツールの会議をしていても、身体性が伴わない思考なんて、ただのゲームのようでしかなく、やはり、身体的なリアリティがより多くの情報を享受できて、それが地域文化には多く潜んでいて、まだwebでえれない価値があると再認識したところです。もちろん、webが悪いと言っているわけではありません。機能的な会話と、案件を片付けるためのツールとしてwebでの会話で十分です。しかし、不確定な要素を産みにくい。その雑味のようなものが全くないのがweb会議などで不満で、10時から打ち合わせていた時に、盛り上がってじゃあ飯今から食いにいって、昼からもう一回やりますか。みたいな。そういうところから新しい何かは生まれていた。もちろん非合理的で経済だけを考えたら必要ないことかもしれませんが、文化や新しい何かは、こういう非合理的なところから生まれてきたところもあり、そして人間として全て合理的に生活をしていたら、精神を病みそうだなと最近考えます。

なぜ自分が本質的にはおそらく興味がないけど、惹かれている「地域文化」というテーマを仕事にしているのか?ということを、最近よく考えていて、それは「合理的ではないところの人間の中にある何か?」に惹かれているのかなとも感じます。リアル店舗は、そういう非合理的な何かに魅力があったと思いますが、それを何か時代に合わせて変換する必要があるなと感じています。

この期間にもう一度思考していきたいと考えています。この3年くらい、自分の考えをあまり表に出さないようにしながら運営していきました。なぜか?よくわかりません。僕は出す必要がなければ、出しません。でも、何か書きたいことがあれば書く。そして、この3年-5年は、あまり書きたいことも、言いたい事も特になかったと言えるのでしょう。そして、うなぎの寝床のメンバーも多くの仲間が入ってくれて、それぞれが発信をやってくれていました。何かを伝えようと、それが上手いか下手かは別として、試行錯誤してくれていた。それが重要だろうと思い、僕はそれに対してとくに社会に言いたい事や、考えを公開する必要がそこまで強くはなかったので、文章を書いてきませんでした。

しかし、在り方をもう一度考え直さないといけない時代になったので、その思考プロセスのようなものは、内外に含めて、気づいた時に書いてみようと思いました。また何か思いついたら書いてみようと思います。では。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

うなぎの寝床の情報は下記で取ってもらえると嬉しいです。

0.地域文化商社というコンセプト
1.メルマガ登録
2.LINEの公式アカウント
3.Facebookページ
4.うなぎのHPとオンラインショップ
5.Instagram うなぎの寝床本店
6.Instagram うなぎの寝床旧寺崎邸
7.Instagram うなぎの寝床企画展
8.Instagram オンラインショップ
9.Instagram MONPE
10.Instagram 代表白水
11.twitter 代表白水



本質的な地域文化の継承を。