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モノは壊れるヒトは死ぬ

此処で生活していると
死が身近な日常にあると感じる。
毎日のように何処かの誰かが亡くなる…

亡くなったその日にお通夜を執り行なう。
翌日は、告別式から荼毘に伏され
そのままお墓に納骨される。
昨日まで生きていたのに…
本当にもう居なくなってしまう。

東京で生まれ育った私は、
その流れに未だ慣れない。
亡くなって骨になるまでの1週間は
永遠の別れる日を待つ心の準備期間。

また此処では、多くの人が誰かの悔みを
新聞で確認している。
何故確認するのか?
其れは、知り合いならば当然知る必要性
或いは、自身の家族や身内の葬儀の際
香典をもらっていたら返さなければ
ならないから。

今の時代は、LINEなどであっという間に
連絡も入る。
身内と同様に同級生(同窓生と云う)の
繋がりが強く故人の配偶者親兄弟姉妹に
至っては、亡くなれば
お通夜なり告別式に行き手を合わす。

葬祭場も東京とは違う…
炊き出し室があり葬式慣しの料理を作る。
其処は、料理を作って仕切る専門の人がいて
自主的に手伝う友人知人が集い手伝う。
都会では、見なくなった光景なんだろう…

葬儀に参列する殆どが顔見知りで
幼少期からの幼馴染み家族構成も家庭事情も
ビックリする程知っていたりする。
誰もが大抵、立ち入った世間話を
好んでしている様に感じる。
どんな話が聞こえて来ても
私は、殆ど分からない…
少しずつ判ることもあるけれど…
やっぱり分からない。


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