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安庵地=Unanti=無抵抗=自然

いよいよ長野への出発が残すところ一日となった。
節目として反芻し終えたものを記録するとしよう。
結論、こじつけでもある。しかしこれが今の私の正義である。(※無論、私の偏った正義は誰に影響を与える意図でも強要するものでもない。正義とは各々である。)
ある程度の方向性を持って、人は進まざるを得ないため致し方ないだ。


建築は過去より、人間が自然と対峙し共存するためにあった。竪穴式住居から始まり、現在の工業化家屋に至る。
二十一世紀の東京は、洋的都市化=不自然=経済・工業的束縛空間により既に自然な環境ではない。現代の東京での暮らしは都市化との対峙・共存という構造になっている。環境に一切の豊かさなし。武装する生活である。住居から始まり工業化に依存したことにより、工業・科学技術なしでは生きるのがしんどくなってしまったのだ。
空の画層を覆い隠すように群がるビル。汚染された大気。(喫煙率が下がっているのにも関わらず肺がんの罹患率は増加しているという皮肉的統計)(https://oshiete-gan.jp/lung/about/statistic/)(https://www.health-net.or.jp/tobacco/statistics/jt.html
まさに工業・経済・都市化の膿である。
家では空気清浄機を置き、アレルギーや様々な部位の炎症から守る防護品や化学薬品を纏い、都市の突き刺すような視線から防御する無粋なハイブランドと装飾品や人工顔面手術。体に取り入れるもので言えば、数日経って地方から寄せ集めた栄養価の低下した食材。価格的に言えば極めて割高。出勤時には低酸素の車内で肉詰め状態必須。娯楽施設に行けば基本高密度。
絞り出せばまだまだ膿は出るが、この辺りで休止。
特筆すべきは、このような劣悪な環境下で暮らす”人間がすごい”ということだ。環境には固執しない精神的な豊かさがある。愛すべき仲間と精神的な繋がりを持ち朝から晩まで経済的機構の歯車となり、我心を殺し勤勉に働いている。東京人は膿を出すため、酒で清め、サウナで幸福の脳波を出す。稼ぐために働き、そこでこしらえた膿を吐き出すためにお金を使う。なんとも皮肉である。しかしそれが経済という”まやかしの構造”である。ここでは豊かな環境に住む事が正義という主張ではない。各々の正義があって当然である。
やはり経済に対峙できるものは”暮思(くらし)”である事が洋的都市化から見てもわかった。物資的にも環境的にも豊かでない東京でも仲間で支え合えば楽しいものである。実際に多くの人と出会い思想を交え合う”HUB”として機能は抜群であり、私も非常に恩恵を受けたし、腐敗した都市というエモさが思い出として残っていくのだろう。またこれも皮肉的で面白い。時に時代はそういった劣悪な環境化において素晴らしい文化を生み出してきた。目の前の環境が貧しいが故に脳内だけでも豊かなものをと、想像力が研ぎ澄まされる。邪頭にしかり、奴隷的な制約が生み出した素晴らしい産物は多い。非常にこれもまた皮肉の極みだ。

安寧の地が東京に存在し得ようか。”否”あるわけがない。
東京には私の思い描く暮らしは存在しなかったのだ。
長い禊であったが、私が離京するためにはこの程度の精神年齢まで到達しなければいけなかったのであろう。感謝は終えて、
新しい冒険に出るとしよう。


長野県は日本の内陸で、ほぼ中心的な位置にある。
その分、外国からの文化的侵略も少なく、古き良き日本伝統が残っている。
また山に隔てられているからだろうか、流通に多少の難があるから地産地消の概念に成らざるを得なかったのだろうか。それとも、日本の文化を愛してやまない継承する心の賜物であろうか。というよりも流行が長野に入るまでに流行りが巷では終了しているのだろうか。いづれにせよ、長野に長く住まわれている方はとても知性的で愛ある方々であろうと類推する。これからお世話になる方々からもそのような雰囲気がぷんぷんであった。

相当寒いであろうと、ビビっているがこれでも育ちは山梨で育ったのだからなんとかなるだろう。と思いつつ都留市と上田市を比較したが、今週一週間通して都留市の方が気温が低かった。笑
とにかく、体だけは冷やさぬように充分に気をつけたい。

明日は山梨に帰り富士山と浅間神社にご挨拶をしてディナーとする。
その翌日は長野で善光寺にご挨拶。当分は生活リズムを整え仕事に慣れるように山々の表情とそこで聞く音楽、美味しい野菜等を堪能しようと思う。煙草もさぞ上手いのであろう。乾燥もしているだろうから火の扱いには要注意することとしよう。
情報過多な都市から、対極とも言える山の声が響き渡る場所へ。
楽しみである。
今年度は一旦、家具を作ることを目標としよう。道具の扱いにも慣れるであろうし、何よりも自作とは贅沢だ。借家であるが家具と雑貨や食器など安庵地への備えとしたい。

先日の一句をここに残して、今日は一旦この辺で。

下駄ならし
知恵・腕・作法
研ぎ澄ます
自覚時こそ
安庵地(あんあんち)


筆・安庵地(Unanti)

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