DENYING EVERY TEAR

フランスの哲学者であるロラン・バルトが遺した「人はつねに愛するものを語りそこなう」という言葉がある。

私は、言葉にできないような思いの前に立ちすくんだとき、この言葉を思い出す。言葉にできないままでいいのか、と自分を奮い立たせる。言葉になる前の心のざわめきを語りそこなえば、たちまち忘却の波にさらわれてしまう。語られることのないその思いは、いつか来るすべての別れの後に、再び現れるだろう。愛しいあの気持ちを言葉にしなかったことを、いつか必ず絶望する時が来る。

さらに、同じくフランスの哲学者であるメルロ=ポンティは「思惟は一瞬のうちに稲妻の如く進展する。」と語っている。ほとばしる激情は、言葉を探してもたもたしているうちに、すばやく、あっという間に、我々のもとから離れていってしまうのである。思う熱のほとぼりがさめてしまう前に、今すぐに、言葉にして心に残しておかなければならない。今まさに消えようとするこの思いを、語りそこなうことがあってはならないのである。

そして、今投げかけた言葉は、一度発してしまってはもう二度と取り戻すことが出来ない。ああ言っておけば良かった、言わなければ良かった、の繰り返しである。言葉にしたい思い、言葉にしなければならない思いこそ、いつだって、うまく言葉にできないものである。

生きていればたちまち気づく。思いにぴったりと当てはまる言葉に遭遇することは稀であり、ほとんどが語りそこなうことの連続であるということを。人の感情は、喜怒哀楽に分類されることがあるが、実際のところそれらの感情はきれいに四分割されるわけではない。嬉しいようで悲しいと思ったり、笑いながら泣いたりすることもある。ありあまる感情を言葉にしようとすることは、思っている以上に困難なことなのかもしれない。

それでも、私達は言葉を探し続ける道からはぐれてはいけない。目の前の人の口から言葉が出てくるのをじっと待たなければならない。嘘をついて空白を埋めることでもなく、耳なじみのよい決まり切ったものではめ込むのではなく、言葉を求め続け、追いかけ、縋り付かなければ言葉は自分のものにならない。

言いたくて、言えなくて、思いわずらい、言いあぐねて、口ごもり、言い澱んで、言葉の代わりにため息がこぼれる。
それでも悔しくてもう一度息を吸って、頭のなかで言葉がぐるぐる回って「その」言葉を探す。いつか思いが消えるその時まで、いろんな言葉を捨てたり拾ったりして、その出会いを待ち続ける。

これが、私にとって言葉を大切にするということである。

#エッセイ

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UNBILICAL

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