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DIDN’T KNOW I WAS LOST

皮膚癌と診断された。
ステージ1bの早期発見とのことで先日摘出手術を受けた。左頬に5センチの傷が残り26針縫った。
 ほくろに似たよくある癌とのことですぐに命に関わる病気ではなかったが、顔に残った大きな赤い傷を見た時に、自分の何かが終了したような気がした。無病で健康な人間としての終わり、顔に傷のない人間としての終わり、ついでに30歳になる前の若い女としての自己肯定感の終わり。普通の人間として当然にクリアしてきたあたりまえの人間のチェックが一つ一つ外れていくのを感じた。

 今の自分の顔は、保護テープを剥がすと白い皮下組織が剥き出しで、傷のフチと人工真皮を縫合する黒い糸の所為で異物感が酷く、人間のような何かの別の生き物のようだ。
 癌が進行する前に見つかってよかったと、事故に遭ったと思おうと、どうしようもないことで悩んでも仕方がないと、そう思って手術に挑んだが、癌細胞だけではなく自分を支える自己肯定感も失ってしまった。

 自己肯定感というのは人それぞれに色んな種類があるだろう。家族や恋人や友人などの大切な人が存在してくれる幸福感、過去に達成した素晴らしい功績、組織でポジションを与えられることによる優越感、自分を信頼してくれる部下や上司がいる安心感、芸術や文学で自分を肯定してくれることによる承認欲求が満たされた時の満ち溢れる自信、、
 色んな自己肯定感が「自分なんて」という気分を晴らしてくれる。自己肯定感を感じるチャンスが多ければ多い方が良いのは当然のことだと思う。

 そしてその自己肯定感というのは他者と比べて得られたり、自分以外の誰かのお陰で感じられるものであって、承認欲求を自家消費する"自己満足"とは少し違う性質を持つ。
 手術前までは自分の顔に不足を感じることは少なかったが、顔の傷ひとつで思いもよらぬ喪失感を感じることになったのは、やはり自分の顔は自分の自己肯定感を大きく支えていたからだろう。

 化粧を重ねるほど本当に美しい人に負けた気持ちになり惨めになるので化粧は好きではなかったが、今となっては化粧でより美しく見せたいという心の余裕すら虚しい。自分の顔を写真に撮ってもらえるようになるのは何年後になるのだろう。癌の場所がなぜ顔だったのだろう。私はいつも貧乏くじを引く。同じ程度なら腹でも頭でも尻でも足の裏でもどこでも良かったはずなのに。

目もまつ毛も唇も頬も紛れもなく自分のものなのに、たった一つの大きな傷が自分を否定する。この傷が、この痛みが、自分自身であることを強調して拘束する一方で、自分を拒絶する。今も鼻に残る皮膚を焼くにおいが、傷を押すと滴る血が、心を劈く。

#エッセイ
#癌

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