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WRITING'S ON THE WALL

家に帰りたくなくないと思うのは2回目だった。そして、前回も今回も思い返せば事前に不穏な予感がしていた。不自然に思った昨日の出来事が、今さらになって効いてきた薬のように全身を拘束した。

その日の朝、SAM SMITHのWRITING'S ON THE WALL を通勤中になぜか繰り返し聞いていた。穏やかであたたかなポップスを歌うSAM SMlTHらしくない、オーケストラを率いた壮大な悲哀の曲だ。彼の高めで優しい声が、このような悲壮な曲をさらに深刻に、奥深いものにさせていた。

彼は、タイトルであるWRITING'S ON THE WALL という言葉にどのような意味を託したのかが気になった。そしてたどり着いた答えには、自分がこの曲を忘れられなくなった理由が見つかった。私はこの歌とこの言葉と出会うように生きてきたとすら感じた。いつかWRITING'S ON THE WALL という題のついたエッセイを書けるよう、大切な言葉として心の奥の方にしまった。

その日の夜に、愛犬の突然死が待っていた。父が1番可愛がり、この家に連れてきた犬だった。父が残した思い出がまた一つ消えて、悲しみに暮れる母親の顔を想像するだけで辛かった。父を亡くした時と全く同じだ。あの時も母親から同じように突然の連絡があった。嘘だと願うがきっと嘘ではないのだろう。早く家に帰りたいのに帰りたくない。帰ると愛しい者の亡骸と悲しみとの戦いが待っているのだ。

抱きかかえられるのが嫌いな犬だったのに、そういえばなぜか昨日の晩には珍しくすり寄って来て、しばらくの間抱き抱えたのを不思議に思った。朝に聞いていたSAM SMITHのあの曲そのものじゃないか。あっけない命の終わりと、朝に感じたあの直感と、自らの勘の鋭さに笑いすらこぼれた。

まだまだ艶やかな毛をした愛犬を火葬場に連れて行くまで、祈りとは何かを考えた。身体の何処かから漏れ出しそうなほどの後悔と思い出を、なんとかするのに必死だった。手を合わせて、あなたのことを考えて、願う。祈りとは単純なのになぜこんなにやるせないのだろう。こんなに願うのにひとつも届いている気がしない。この行為の意味を考えるのも苦しい。見えないものがこんなに怖く思うようになるなんて、自分もなかなかこの世に順応してきた気がする。

自分が生きてる限り会えない。会えないのは自分が生きているからだ。ただそれだけなのだろう。いつか私の人生が終わったときに、きっとまた会えるだろう。そういう意味では命に終わりなんてない。

携帯に保存されていた動画の中の父の声を久しぶりに聞いた。先日亡くした愛犬の鳴き声もする。まさにここが天国のように感じた。またいつか家族みんなで久しぶりに会おう。たくさん話そう。愛犬を抱きしめよう。またみんなで酒を飲んでリビングで朝まで語ろう。

#エッセイ
#SAMSMITH


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