私の血はあなたの毒

急な腹痛に苦しむことが少なくなった。電車を途中で降りたり、震えるほど痛みを堪えたりすることがなくなった。そういえばいつからかカバンの中でビオフェルミンの瓶がじゃらじゃらする音がしなくなっていた。中学から必ず毎年冬にかかっていた急性腸炎もいつの間にか克服していた。

社会人になり、お酒を飲む機会が増え、食べられるものが増えた。美味しいと思うものが増えたし、飲み会の席で、馴染みのない食べ物や、嫌いな食べ物が出てきてもビールで流し込めるようになった。それ以前は食べられないものが多く、毎日母の作るものを食べていたので、食べたことの無いものを食べる機会も少なかった。食べられないものは食べなかったし、正直言うと社会人になるまで美味しいという感覚がよく分からなかった。間違いなく食べ物に偏りがあった。価値観の偏りと同じくらいに。

きっと、腹痛の恐怖に怯えていた頃に比べると、私の腸内環境は別人のように変わっているに違いない。食べるものが変わるということは、私を構成するものが変わるので、私自身が変わるということだ。現在と、敏感な腸の頃の自分とはまるで別人とも言えるのかもしれない。

人が恋しくて人を傷つけたくてしょうがなかった頃の自分と今の自分では、心や言葉までも変化してしまったように思う。そして今思い返せば、食の変化と同時期のような気がする。湧き出る言葉、揺れる思い、あの頃の衝動が、もしかしたら食べ物の影響を受けて、心の端からひとつひとつこぼれ落ちてしまっていたとしたら、ぞっとした。

大学の授業中に、私語をやめて静かにしなさいと注意しない教授がいた。必修の授業だったので講堂には250人は集まっていたが、その教授からは一回も注意の言葉を聞いたことがなかった。その教授の授業スタイルは、筆記が少なく、講堂内を歩き回りながら生徒に質問していくもので、とても新鮮だった。良い意味で雑談が生まれ、活発な授業だった。国立大出身で、自身もラグビーの選手として活躍し、生理学を学ぶ人なら知らない人は居ないほど有名な教授だったが、へらへらしていて良い意味で威厳を感じず、マイペースな人だった。

ふと、「なんで国立大で何十年も教えてた教授がウチの大学で授業する気になったんやろな」と聞いた時に「金に決まってるやろ」とさらりと世の常を突いた友達とは今でも一番の仲だ。金が第一ではないだろうけど金だろうな。

学期末のその教授のテストを終えた途端に、視線を感じたので顔を上げると、テストの紙の私の名前を見て、「君だったんだね。君の書く感想文をいつも楽しみにしていました。」と言われた。

その時初めて、自分の言葉が自己防衛の域を超え、思いを伝える手段として有効だったのだと知ることができた。私の言葉選びはいつも荒々しく、読む人を傷つけたり不快にさせてしまうことが多かった。私の文章の読後感は、溢れかえったゴミ箱の周りに更にゴミを置いていく人を見たときや、金曜の夜の駅の吐瀉物を見たときの気持ちと似ていると思う。なぜか集まる世の中の汚れや澱みやぬかるみみたいな、出来ればみたくないものみたいな。

私は文章を書くことが好きだけど、私の文章を読みたいと言う人はいなかった。大好きだった読書感想文は褒められた事がないし、高校卒業時に卒業生代表として書いた入学志望者向けの寄稿文は、捏造ではないかというくらい教師に修正されていた。私の成長の物語が必要だったのだ。言葉ではなく。出来上がったそれはもう私のものではなくなっていた。

いつもいつも文章を書くことに関して自信がなかった。だから教授に声を掛けてもらえた時、人に承認されるということはこんなにもあたたかく、心を落ち着かせる場所を与えてくれるのだと知った。君をスポーツライターにしたいよと言ってくれた教授の言葉を、なぜ笑ってごまかしたんだろう。いつも、後悔したくなくなったとき、その時の自分が選んだ事なら仕方ないと言い聞かせるけど、そんな事を言ってるから、いつも機会を失い続けるんだろう。

先日、家族で食事をしていて、昔は苦手だったはずの食べ物を何気なく口にした時、ふと教授の事を思い出した。嫌だといっていつまでも拗ねて、ふてくされて、いまにも暴発しそうな爆弾を抱えていた頃の自分を恋しく思った。手を離してしまえば、あっという間に、失うものなんだ、自分自身でさえ。

#エッセイ

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