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台湾・邂逅(kai-koh)記 ①

21世紀に入る少し前、バイクのHPを立ち上げていたころがありました。
バイクのHPにもかかわらず、内容はひたすら文系。バイクそっちのけで、高橋幸宏にあこがれて、よろよろした詩や書きなぐったエッセイを裏バーションと称して、ごくごく一部では好評を博しておりました。
それは永い永い放置の後、つい数年前まで続いてましたが、プロバイダーを変えたことで、HPは消えてしまいました。
当時書き散らした原稿がでてきましたので、ためしに掲載してみます。

バブルは弾けた後ですが、贅沢さに寛容な余韻が夕映えのように残る時代で、私の職場では社員親睦海外旅行が催されていました。今回の話はその感想文みたいなものです。
当時(今でも)、どっぷりはまっていた椎名誠や原田宗典の昭和軽薄体に影響を受け、実験的に書いたので、今、読み直すと少しマズい表現もあったりします。多少修正を加えましたが、それでも結構乱暴です。
少し長いので、分割して掲載します。「若いな」と思って、笑ってお読みください。


海外旅行といえば妙にウキウキするものである。フィルムは勿論ASA400の36枚撮りを唸るほどデイパックに詰めて、おまけに8ミリビデオも充電機材と併せて
「おりゃー、見たもの全部この中に収めたるでー、はぁはぁ」
と鼻息を荒くして出発三日も前からパッキング大王になってしまうのである。いや正確には過去形であるから「だった」をつけた方が正しいのである。ホントは8ミリビデオなんて持っていかなかったし、24枚フィルム一本さえやっとこ撮り終えるのが精一杯なのであった。なにぶん台湾行きの社員旅行である。何かこみ上げるものがやって来なかったのである。

何をクドクドと書いているのだ、オレは。

早い話、台湾という国に全然期待していなかったのだ。まあ国中がでっかい中華街で、せいぜいうまい中華料理をぶっ続けで食うことができるだろうといった期待ぐらいしか抱いていなかったのだ。しかし、実際台湾へ入ってみると、日本と香港の中間ぐらいの文化というか民族性というか経済性というか、ちょうど東京と大阪にはさまれた名古屋のような位置関係にある、ちょっと垢抜けない乱暴な独特のおもしろさがあって、それはそれで興味深いものではあった。
昔に比べ数は減ったらしいが台北市内はバイクが異常に多い。こいつらに囲まれたらいったいどんな風にオレは道路を走ればいいのだ?まぁ、結構ほほえましいカップル二人乗りも多かったりして、コイツは日本より幸せ度がある意味では高いのではとは素朴に思ってしまう。

台湾が受け入れる日本人観光客の平均年齢はいったいどれくらいなのであろうか?
もし、そのような資料があったらすこぶる興味深い。実際、花蓮(かれん)のような地方都市に行くと、農協オッサンオバサンご一行が似合うような洗練されない古典的なサービスや施設が多い。まあだからといって、そういったものを求める層が確実に存在するのだから別に罪はないのだが、興味のない見学を強制されるのはやはり苦痛なのだ。沖縄より南に位置するからといって、いたずらにトロピカル馬鹿へ傾いていない部分は大いに評価できる。しかし田舎なら田舎らしく正々堂々とその田舎ぶりでストレートに勝負してもらいたいものである。

そういう訳で、ここは帰りの台北国際空港出発ロビーなのだ。台湾ドルが1,700ほど余ってしまったので、免税店で何か買おうとしたのだが、やはり買うものがなく、同僚のマー坊とカズヒロさんに台湾硬貨を借りて無理やり自分を納得させてやっとこさ口紅やらチョコレートやら買い物を終えたばかりである。こういう買い物というのは果てし無くムナシイ作業なのだ。
出発ロビーは案の定日本人であふれていて
(こいつらと一緒に飛ぶのか。げげー)
と思いながらも搭乗口前に連なる行列の後ろにノソノソ並んだのであった。

飛行機のドアにはどこかJALと違う、日本アジア航空のスチュワーデスがお定まりの営業スマイルを乗客に投げかけたりするのだ。
(えーい、今のオレには微笑みは要らんのだ。土産探しで妙に歩き回ったから早く座席につきたいぞ。おーいそこのオバハン早く座れー。前に進めねーじゃん。)
とビシバシ光線を断続的に発射しながら、狭い機内通路をグリグリと前進していったのだ。
やっと通路側に面した自分の座席前にたどり着く。

(お?間違えたか?)
天井の荷物入れには誰かの荷物が満載されている上に、オレの席の右隣には身内のツアー客でなさそうな見知らぬ女が座っていたのであった。もう一度搭乗券をチェックしてみると確かにこの席である。
(オレのデイパックの置き場所がなくなっちまった…)
と思いつつ、しかたなく一つ後ろの空の荷物入れにデイパックを放り込んだ。どうやら通路を挟んで左側の若い女三人組が入りきらない手荷物を本来オレが入れるはずの棚へ勝手に詰め込んだようだった。三人組は自分たちの荷物入れの扉も開けっ放しにしてお喋りしているので
(ケッ、不心得モノめ)
と苛立ちながら彼女らの荷物入れのトビラをバンバンと閉めてやったのであった。

そんな訳で座席に腰をおろした頃にはずいぶんとすさんだ心持ちになっていたのであった。
(右横は知らない女か…オレはツアー客なのに回りは全然知らない人間ばかりじゃ)
とさらにすさんで
(よし、今日のオレはツアー客でなく、しがない中堅水産会社の、これまたしがない台北駐在員というシチュエーションでいくか)
と勝手にストーリーを作ったのであった。すさんではいたがその割にはヒマだったりするので「小人閑居して不善を成す」。ロクなことを考えないのだ。

『横浜の本牧あたりにある東横水産通商株式会社。従業員は若干100名。おもに東南アジアから冷凍のブラックタイガーを買い付け、台北事務所で東南アジア各国から集まった冷凍海老をとりまとめて日本に出荷しているのだ。
 今、オレは買い付け状況の定期報告ということで本国の本社に出向く途中この飛行機に乗ったということにしよう。うーむ今回はインドネシアの森林火災の影響で海老の出荷が遅れ、辛い報告をしなければならない気の重い出張であるのだ。』
なんて妄想を膨らませていると飛行機はあれよあれよと空に駆け上がっていった。

まもなくオレは入り口で確保しておいた毎日新聞を取り出し、二つ折りにして読みはじめた。しかし、しかしである。普段は床一面に広げて新聞をごろ寝読みする習慣が染みついているオレにとって、エコノミーシートのスペースはいかんせん窮屈すぎるのだ。案の定、頁をめくる度に新聞がクシャクシャになってきた。

(アウチ!なんてこったい)
読みづらいことおびただしい。ついにはページがベロリと抜け落ちて、通路に落ちてしまった。
(うげげ!)
毎日新聞はさながら着流し兄ちゃんの崩れた浴衣のようにまとまりなく醜態をさらしている。こうなると優雅に新聞を読んでいる場合ではない。
(こんなもん、こんなもん、こうしてくれるわい)
とグワシ、グワシと新聞「紙」を強引に畳んで座席ポケットに突っ込もうとしたが、一度ひねくれた新聞「紙」は
「絶対オメーの言うことなんか聞かんもんね」
とかたくなな態度をあらわにするので
(クヌヤロ、クヌヤロ)
とゴシゴシしごきながら座席ポケットに強制収容したのであった。

(はぁはぁ、おお、えらく消耗したぁ)
ふと右横を見ると、一人旅らしい彼女はあろうことにスポニチを読んでいた。
(ま、硬派なお方)
しかし彼女にはいまいち似つかわしくない新聞ではある。いったい何処を読むのだ?
あんまり後ろのページはオヤジ好みのネチョネチョ記事ばっかだぞ、知ってんのか?
まあいい、趣味にタブーは無いからな。

毎日新聞の講読に呆気なく挫折したオレはかねて用意してあった文庫本を取り出して読みはじめる。椎名誠のエッセイ「ハーケンと夏みかん」。タイトルからしてほのぼのしてそれなりにおもしろいのだが、若い頃の作品と違って、相当力が抜けている。肩ひじ張らない自然体という見方もできるが、やはり寄らばブッ飛ばすぐらいの視線で書いたスルドイ格闘技エッセイを期待する身にとってはパワフルさが薄らいでしまって、何となく話に没入できないのだ。まあ椎名誠も相当歳くったからなあ。


②へ続く

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