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ぎゅっと されたら…な記憶

最近まで、宣伝会議主催のコピーライター養成講座を受講していました。
頻繁に課題が出されて、提出物を講師から評価してもらうルーチンが半年間続きます。

ある講師からお題が出されました。

「シニア女性をターゲットとした化粧品ブランドから発信する、
彼女たちを勇気づけるようなコピー」

を書いてください。

「シニア女性かぁ…」
対象となるレンジが広すぎてピンときません。
母親はとっくに他界していますし、職場のそれらしい女性に意見を聞いてみようかなと思いましたが、
「このあたしがシニアなわけ?」
とキレられそうなので、そちらはボツ。

それではと、記憶の中から年上の女性を手繰り寄せてみました。

まだ、21世紀にはいる前、私はある業種団体の事務方を拝命しており、
時折訪れる役員の一人に女性のIさんがいました。
彼女は私の母親と同世代でしたが、何かにつけ、目をかけてくださる方でした。

ある夜、役員による恒例の宴席があり、私も同席しておりました。
私が一番若く、おもしろがられてお酌をされまくるので、
最後のころには、かなりのアルコールがはいってヘロヘロになります。

そのうち
「二次会にいくよぉ」
どこからともなく声があがり、
「うぅ、今夜は飲み過ぎてツライなぁ」
と思いつつも、皆に続いて薄暗い路地裏を次の店へとぼとぼと向かいました。

列の一番後ろにIさんと私が続きます。

彼女から見ると、私の足取りがよほど心もとなかったのでしょう。
「だいじょうぶ?手をつないであげる」
そう言うと、まわりに気取られないよう、手をスッと添えてくれたのです。

「うゎ、すみません…」
なんだか、申し訳ないやら、恥ずかしいやらで、目を合わすことができません。
そのうち、かかとが歩道の凹みにはまり、ぐらりと態勢を崩してしまいました。
「とっと!」

その瞬間、彼女は私の手をぎゅっと握りしめて、私の体を支えてくれたのです。
「ありがとう…」
私は反射的にぎゅっと握ってIさんの目を覗きました。
「私だって、やる時はやるのよ」
いたずらっぽく微笑んで、もう一度ぎゅっと強く握り返してくれたのでした。
その時の記憶はそこでおしまい。

「そうだ、この記憶をシニア向け化粧品のコピーとしよう。
これはコピーと言うより、自由律俳句かもしれないな」
そして、書いたのがこの作品。

つなぐ手を、ぎゅっと されたら、ぎゅっとかえせる私です。

本ブランドは、シニア女性が自分自身を受け入れ、自信を持てるようにサポートすることで、
手を差し伸べられたら、素直にそれを受け入れ、社会のつながりの中へ入っていくことを促していきます。

…なんて、それらしい制作意図を添えて提出しましたが、案の定、講師からの評価は
「抽象的すぎて、読み手に行動変容を起こさせない」
と芳しくありませんでした。

でも、いいのです。
人生の微妙な趣や情動をふと見せてくれた。それも素敵な女性に。
その思い出を一行で表わせただけで、書く機会が得られただけで私は満足でした。

講座が閉講してほどなく、Iさんは永い闘病の果てに虹の橋を渡られたとの知らせが入りました。
このコピー、実は彼女への無意識な手向けだったのかもしれません。

Iさん、いつも見守ってくれて、ありがとうございました。
この次は、もうちょっといいコピーを書けるようにします。


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