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昔会ったオタクの兄ちゃん達

 昔、バイト終わりによく寄っていた中古ゲームショップがあった。そこにはカードゲームコーナーがあり、小学生の子供から、少し大きいお友達までいろんな人がワイワイやっていた。そうした客の中で、一段と年齢の高そうな、やせ型で長髪眼鏡の如何にもオタクな兄ちゃんが子供のように楽しそうにデュエルをしていた。よく見るとエプロンをしているので、店員だった。この店には漫画や中古CDが置かれなくなるまでよく通っていたものだが、色んな店員の中でもこの店員と、楽しそうな姿だけは凄く印象に残っている。もちろん、悪い意味ではない。

 別の話になるが、僕の部活に居た先輩にも同じように感じる。高校1年の時に部活に居た3年生の先輩の一人。1年だけの(顧問も生徒もあまりやる気がないのか週に2回しかなかった。3年間居たが一度も来ない幽霊部員か、同志を求めるオタクや変わり者しか集まらなかった。ただ、とても心地の良い場所だった。)短い付き合いだったが、彼も同じ印象を僕に残している。

 当時はまだエロゲがオタクカルチャーに直接強い影響を与えており(Fateシリーズなど今でもそうだ!という意見はあると思う。しかし、あのシリーズが今与えている影響は一般向けソシャゲとしての独立した影響であり、10年以上前の当時のようにエロゲが一般ラブコメとしてアニメやコンシューマーゲームになり人気を博すのとはまた違う感覚ではないか。)、オタクとしてそうした物に触れるのは、ギリシャ人がホメロス作品に触れるぐらいの当然さであった。

 ただ、僕は未成年だ。どっからどう見ても未成年のクソガキなので、エッチなゲームは購入できない。ではどうするか。答えはその先輩だった。当時のメロンブックスはスタンプカード(会員証?)を作成しないと18禁商品が買えないシステムとなっていた。そこで先輩がカードを人に貸すわけである。結局、そのカードを使う事は無かったが、それ以外にも様々なオタク談義をして1年を過ごした記憶がある。

 店員の兄ちゃんにせよ先輩にせよ、共通して記憶しているのは世間とは少しズレた自認識を持つ自分たちが楽しむカルチャーにおいて、運動部的年功序列ではなく年齢の垣根を超え対等に楽しみ、決してマウントする事もなく豊富な文化への知識などを持って、同志として僕のような初心者や年下を迎え導く姿だ。今ではオタクカルチャーへの興味の薄れや幻滅、あるいは人生における目標を第一優先にした為に距離を置いてしまったが、それでも自分自身の人間としてのロールモデルの一つとして心に残り続けていて、ふとした時に思い出しては、自分に問うのだ。「僕は果たして、あの時合ったオタクの兄ちゃんみたいな人を教え導く大人になれているのか?」と。

 先の店も数年前に無くなってしまったし、先輩とも高校生の時以来全くあってないが、今どうしているのだろうか。かつて僕が見いだした姿と寸分たがわぬ大人として生きているのだろうか。

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