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キーパーは身長だけじゃない。それを見せたい。 冨澤拓海選手が挑む壁

身長168センチ。今や190センチも当たり前のプロのゴールキーパーの世界では、冨澤拓海選手は極めて異色の存在だ。事実、Jリーグをみても全243人のキーパーの内、170センチ台はわずか10人、160センチ台は1人もいない。そんな世界にあって、冨澤選手はニュージーランドにはじまり、モンゴル、ジブラルタル、オーストラリアのチームとの契約を勝ち取ってきた。

「お前のその身長だったらキーパーやめた方がいいよ、ってヨーロッパだと平気で言われますね。まあ、あながち間違っちゃいないけど笑」

身長というハンデを超えてゴールキーパーで飯を食う。想像に難くない、その奮闘の歴史を尋ねた。

そのサッカー人生で最初に「壁」を感じたのは、小学生の頃だという。PK時に監督がキーパー交代を命じた。冨澤選手の代わりにゴールを守ったのは背の高いフォワードの選手だった。また、県大会で最優秀選手に選ばれた時も、地域の選抜にすら呼ばれなかった。

「ショックというより、あ、そうなんだ。キーパーって大きい選手じゃないとダメなんだって単純に思いましたね」

しかし、現実として受け入れたのは「GKは背が高い方が有利」ということであり、「背が低いGKは通用しない」ということではない。実際、この頃すでに身体が小さくてもポジショニングで十分戦えることに気づいていた。

そんな冨澤選手に、人生の転機が訪れたのは中学1年。チームで行ったスペイン遠征だ。

「会場の雰囲気、観客の熱量を感じて、強烈に海外でプレーしたいと思いましたね。帰国後、自分を受け入れてくれそうな海外のチームを調べまくって、片っ端から英語でメールしました」

当然ながらオファーはなかったが、海外でプロになるという心の火は、その後、中学高校と試合に出られない日々の中にあっても消えることなく燃え続けた。

大学進学後、社会人チームに籍を置いて腕を磨いた冨澤選手は、19歳、ついに海外挑戦を決意する。選んだ地はニュージーランドだった。

「まずは英語圏の国に行くと決めていました。海外でサッカーをする以上、英語はどこに行っても必ず必要になるので」

オークランドのOnehunga Sportsと契約。しかし、セミプロ待遇であり、満足する出場機会も得られなかった。そこから、冨澤選手の世界を股にかける「就職活動」がはじまる。

「ポルトガル、リトアニア、ラトビア。色んな国でトライアルを受けましたね。ヨーロッパのエージェントは基本180センチないキーパーのマネジメントはしてくれません。だから自分でチームを調べて、メールや電話をしまくる。基本、中1の頃と一緒ですね笑」

なかなかいい返事がもらえない中、チャンスはアジアからやってきた。知り合いの選手からモンゴルに来ないかと誘われると、トライアルを受けに首都ウランバートルへ。そして、ついにモンゴル1部のGoyo FCとのプロ契約を勝ち取った。13歳で描いた「海外でプロサッカー選手」を叶えた瞬間だった。

その後、不動の正GKとして活躍し、昇格直後のチームを2年でリーグ3位に押し上げると、いよいよヨーロッパへと乗り込む。2019年、ジブラルタル1部のManchester 62FCへ入団。ここでも身長の壁を乗り越え、第3GKから第1GKへ這い上がり、チームの守護神としてゴールマウスを守り続けた。

冨澤拓海選手のゴールキーパーとしての強みとはなんなのか。左右両方で蹴れる正確なキック、モンゴルで9本中5本(!)止めたPK、子供の頃から磨き続けてきたポジショニング。特長は色々あるが、本人いわく海外で戦えている一番の理由は、味方を動かすコーチングだという。

「極論、シュートを打たせなければ点は入らないんで。英語、モンゴル語、ロシア語、スペイン語、ずっと叫びまくりです」

国民的バスケットボール漫画では「ドリブルこそチビの生きる道」だったが、冨澤選手にとってはコーチングこそ身長を補う最大の武器なのだ。

2022年、冨澤選手は複数クラブからきた指導者のオファーを断り、5カ国目となるオーストラリアでの挑戦を決めた。

「コーチをやる方が“先がある”のはわかってます。でも、常に今一番自分がやりたいことをやろうって、コロナの中で思うようになったんです。別に、他人のためにサッカーやっているわけじゃないけど、結果的に自分のプレーを見て『僕でもできる』と思う子どもたちが増えるなら、それは嬉しいですね」

春には生涯の伴侶も得て、旅は二人になった。
サッカーという広大な海へ、冨澤拓海選手の冒険はつづく。

text by Taku Tsuboi(sportswriter)
photographs by Nick Gascoine