ささいな日常を生きている。 写真映えするような日常ではない。誰かの役にもたっていない。自己実現できていない。美しくも輝かしくもない。 それでも日々工夫して、なんとか毎日生きていく。ささいなものをかき集めて、肯定して生きていく。
漫画家の芦原妃名子先生の訃報が飛び込んできた。 クリエイターとして、作品にどれだけの想いを注いでいらっしゃったのだろうか。 私は鬱で不登校になったとき、『砂時計』に出会った。この作品のおかげで、私は死に救いを求めるのをやめられた。 芦原先生、私はあなたに救われました。
自分の考えや想いを、言葉にしてインターネット上に発信しようと思う、思うと同時に、「意味がない、誰も私のことなんて興味がない、無駄」という声が聞こえる。声に従い、こんなことは辞めようと思う。 この躊躇の原因は、下がりに下がった自己肯定感だ。
戦っている人が好きだ。戦っている人が何を想っているのか感じられる作品が好きだ。
「寒い日には耳を擦って温めると良いのよ。」 雪国で過ごした小学生のとき、石油ストーブの前で、用務員のおばさんが教えてくれた知恵。寒いとき、体調がわるいとき、気づいたら耳が冷たく固くなっている。そのたびに、用務員のおばさんのことを思い出し、自分の手を耳に当て、温め、柔らかくする。
立ち止まり、わたしの人生こんなことになるはずじゃなかったのに、なんて思ってしまった。今という結果の上に立ち、過去を振り返ると、ところどころに種と思われるものが見える。そのときは見えなかったものが、今なら見えるから、言葉にして意味にしていこう。