選挙が終わって

私は大阪府民である。
こういえば、野党支持者は、ああ…と思うだろう。

私は選挙のあいだ、腐っていた。
大阪はどうせ維新を通し、自民を通し、公明を通すにちがいなかったからだ。
もうこれは今年、維新を通し続けた大阪での覆すことができない事実だった。

大阪人に会いたくなくて、私はずっと家に引きこもっていた。
街に出れば、いろんな人の顔を見て、この人は維新に入れるのか、自民に入れるのか、なんて考えていた。

身近な人だけ、選挙に誘って、れいわを推した。
なぜなら、れいわと維新信者はかなり親和性が高いからだ。
橋下さんが好きという人は必ず山本太郎が好きだ。にじみ出るチャレンジャー感。それが大好物なのだ。

今回、れいわはうれしかった。私の弟は身障で知障だ。
軽度だが、パートアルバイトを掛け持ちし、健常者並みに働いているのに搾取され続けている。
その状況を変えるためにも、一人でも多くの障がい者が国会にいてほしい。
その願いを込めて、私は比例票をれいわに入れた。
山本太郎の政策は魅力的だし、経済的にも正しいと思っている。
ただ、本人の政治家としての立ち回り方も見事なんだけど、自分の趣味には合わないので、次回も候補者次第だ。たぶん、高い確率で立憲か共産に入れる。どうせ、れいわは山本太郎の選挙のうまさで次回からは躍進するだろうと思うし。
私は選挙は下手だけど、頑張っている、あきらめないで質の高い討論をしている立憲、共産を推したい。

私は選挙期間中、ふてくされ続けた。大阪はダメだ、アホだと言い続けた。
だけど、選挙が終わって、大量にそういう人たちがわいて、私はゾッとしたのだ。

しまいには、立憲のせいで票が割れて、辰巳さんが戻れなかったと言い出す始末だった。

ああ、これのせいかもしれないなって思った。
エリートだとか反維新がバカにすればするほど、維新に入れる。そういう人を黙らせるために維新に入れる。

大阪は感情でしか物事を判断できない。
チャレンジャーが好きな風土も、その共感によるものなんだろう。
自分だったらこうするを体現してくれる政治家を求めている大阪。それ以上の役回りをする人に共感する。

選挙が終わって、私はどうしようかなって考えてる。

消費税増税と韓国への対応は日本を転落させるのに素晴らしく効果的だろう。
それを予見したところで、どうしようもないのだ。止められない。

日本は終わったね、とつぶやいても、実感がある人のほうが少ないのだ。
そして、実際、日本は終わらない。終わらないで落ち続けるのだ。
それを実感できる人とできない人がいる中で。

この、どうしようもなく衰退していく日本で生きていかなければならない。

しかも、自己責任とはいえない何かの下敷きになって。

私はずっと選挙期間中、大阪人を軽蔑して、叩き続けた。レイシストと変わらないな、と思いながら。

今でも、大阪は嫌いだ。息苦しい街だと思う。

ただ、大阪人を責めるのはやめようと思った。無意味だ。自分の感情のはけ口であるのは、彼らと一緒だ。藁人形は、ただのストレス発散でしかない。他に、ストレスの発散方法なんていくらでもあるだろう。

こういうふうに思ったのは、選挙期間中に祖母が死んだからかもしれない。

祖母は数少ない、まともに政治について語れる人だった。
偏りはあったと思うけど、すごく詳しかった。池田勇人の所得倍増計画が通じた人は初めてだった。

諦めないで、これからも政治を眺め続けよう。自分に都合のいい藁人形にくぎを刺すのはやめて、この国で一緒に生きる人たちとともに、この国で生きていこう。

政治を語ることは、自分の生き方に誇りを取り戻すことだ。
あきらめないで戦い続けている自分は、すくなくとも自分にとっては誇れる部分だと思う。

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