白樺浪漫

W稲田大学国際O養学部の底辺です。こんな奴も生きてるんだから僕/私もちょっと頑張ってみ…

白樺浪漫

W稲田大学国際O養学部の底辺です。こんな奴も生きてるんだから僕/私もちょっと頑張ってみようと思ってもらえたら嬉しいです。

最近の記事

  • 固定された記事

リベラルに育てられ、右傾化した話

安倍さんが好きだ。 絶対に実家の中では口に出せないことを自室のパソコンでつぶやいて いる。 自分が安倍さんを好きだと自覚したのは高校生の時だ。 僕の両親はとてつもなく左翼だ。最初はただ”戦争嫌い”程度のものだ と思っていたらそんなことではなかった。 ”日本が嫌い”なのだ。いや”日本人”が嫌いなのかもしれない。 父さんは長崎出身ということもあり、原爆資料館などで幼少期から悲 惨な過去を祖父から聞かされていたので、ある程度左に

    • バイトはなぜ辛いのか

      ファーストフード店でバイトを始めた。 生活費はずっと続けている予備校のバイトで賄えてはいるがお客様が高校生でありハタチそこそこの人間が「先生」と呼ばれることに変な思い上がりを持たないかまた感覚が麻痺しないか心配であったことと、来るべき就職の際に精神的に何の摩擦のない予備校のバイトでは働き始めの精神的な緊張が過度の負担にならないか心配であったためである。よって就職前にもう一度同年代に囲まれての下っ端労働者として働いてみることにした。 さて実際に働いてみると確かに辛い。予想どう

      • オンリーワンよりワンオブゼムでありたい

        「君は頭はいいね。でも全く個性的でなくてつまらないよ。他の人はこんなに魅力的だけど君は面白く無いよね」と「君は頭はよく無いよね。ただ君はとても個性的なかけがえの無い存在だよ。知識は無いけれど人間としての魅力は詰まってるよ」であったら、救いがあるのは後者であるだろう。 「個性は素晴らしい、偏差値教育には意味がない」一見素晴らしい。 けれど個性の追求が最上の価値である学校の行き着く先はアーティストの徹底的な神格化だ。クリエイティブでない人とは話す価値がない。平然とその学校では

        • 留学先で群れる日本人

          皆さんは自分のアイデンティティについて深く考えたことはありますか。私は幸運にも今年の春まで行っていた留学先で自分自身のアイデンティティについて深く考える機会を得ることができました。そしてその機会というものは留学先で出会った別のある日本人の男の子の一言が与えてくれたものです  私は去年の九月から早稲田大学の交換留学プログラムでアメリカのニューヨーク州で勉強をしていました。私はその学校でただ一人の日本人として前期は勉強していましたが、後期から京都の大学からもう一人日本人の生徒

        • 固定された記事

        リベラルに育てられ、右傾化した話

          アメリカか日本かではなく、都会か田舎かという話

          留学をしていてよく聞く他の日本人からの不満として「日本は不自由だ・個性が発揮できない」というものがある。 これについて幾ばくか疑問を抱き考えた末に出した結論は「結局のところ都会か田舎かの違い」ではないかというものだ。 以下、よく話題に上がる項目ごとにまとめてみた。 ①服装 度々話題に上がることとして海外ではみんな服装が個性的だというものがある。これには一度は留学をしたことがある人なら決してその通りであるとは思わないはずだ。もちろんおしゃれな人はたくさんいる。僕が留学を

          アメリカか日本かではなく、都会か田舎かという話

          筋トレと英語はほぼ同じものではと思った話

          「ナルシストほど英語の上達が早いんですよ」 昔予備校でガチムチの講師が言っていたのを覚えている。 確かにその東大卒の先生は50過ぎであろうにアスリートのような体つきをしていて、ジョブズさながらの黒いタートルネックに身を包んでいたのを覚えている。 思い返せば僕が教わってきた歴代の講師は、皆筋肉ムキムキにスキンヘッド(ここ大事)だった。 いつかは絶対にそこにたどり着く法則でもあるのかとずっと思っていた。 そんな時に「ナルシストである」という言葉を聞いて腑に落ちたのを覚え

          筋トレと英語はほぼ同じものではと思った話

          アメリカは本当の意味でLGBTに寛容か

          「日本はLGBTや性のあり方に対する認識が低すぎる」 これは帰国子女や留学経験者が多く在籍する僕の学部でよく耳にしていた言葉です。自分が留学に行くまでは「へえ、そうなんだ」ぐらいにしか思っていませんでしたが、ある程度自分の目を通してアメリカのLGBT社会を観察した中で一概にそうとも思えないように感じましたので簡単にまとめておこうと思います。 結論としましては「権利などのハード面ではおおよそ認識されてきているが、それらへの考え方というようなソフトな面においては日本と同程度、

          アメリカは本当の意味でLGBTに寛容か

          英語を話せないのは誰のせい?

          「中高6年間英語を勉強してきたがペラペラにならなかった」 最近、いや長いこと聞いてきたセリフである。 ただこの定型文に、私は甚だ疑問がある。 もちろんその人がペラペラであるかどうかとういう点に関してではない。 きっとペラペラではないのだろうと彼、彼女らを信じている。 私が疑問を持っている点は「果たして学校教育とはどこまでの責任を持つのであろうか」という点だ。 戦後の日本教育は「平等」を起点として出発している。 職業の貴賎なく、すべての身分の子供を分け隔てなく教育

          英語を話せないのは誰のせい?

          レールに乗りたくないというレール

          大学三年生の頃、バイトをして貯めたお金でヨーロッパに一人旅をした。 学生の貧乏旅行であったために大人数で相部屋のゲストハウスを泊まり歩かねばならなかった。 その旅行の中でも、ミラノのゲストハウスで出会った日本人バックパッカーの言葉が今でも印象に残っている。 ミラノに到着し1泊目のゲストハウスのロビーで受付を待っている間に、一人の日本人バックパッカーに声をかけられた。 ヨーロッパ全域でそうなのかはわからないけれどイタリアの多くのゲストハウスにはバーが併設されていて、その

          レールに乗りたくないというレール