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アメリカは本当の意味でLGBTに寛容か

「日本はLGBTや性のあり方に対する認識が低すぎる」

これは帰国子女や留学経験者が多く在籍する僕の学部でよく耳にしていた言葉です。自分が留学に行くまでは「へえ、そうなんだ」ぐらいにしか思っていませんでしたが、ある程度自分の目を通してアメリカのLGBT社会を観察した中で一概にそうとも思えないように感じましたので簡単にまとめておこうと思います。

結論としましては「権利などのハード面ではおおよそ認識されてきているが、それらへの考え方というようなソフトな面においては日本と同程度、それか幾らかの側面においては日本社会の方が理解があるのでは?」というものです。

以下、大まかなポイントです。

①男女平等のように見えて、実際はかなりの男らしさ崇拝

これは主にファッションや外見のトレンドに関する点です。よく聞く通りアメリカは筋トレ天国です。ほとんどの大学やホテルにはジムが完備されていて、昼夜を問わず老若男女が各々のトレーニングに励んでいて活気があります。様々な統計が示す通り圧倒的に日本に比べて体を鍛えている人は多く、筋トレに対する意識に高さを伺わせます。(しかし一方では運動もせずファーストフードを貪り食う人も日本に比べて圧倒的に多く、肥満率を大幅に上げている人がいるため、全体的にアメリカ人の方が健康志向が高いとは言えないかもしれません笑)何はともあれ男性だけでなく、女性もまた筋トレに励んいる姿はさながら既存の女性像を打ち砕き、さらに高みを、強さを目指しているように見えます。これはフェミニズム運動に従事している多数の人が筋トレを好んでいることも寄与しているのでしょう。近年はヒラリー・クリントンがガラスの天井を打ち破ろうという姿を見せ、それに鼓舞された若い女性がガールズパワーの名の下にさらなる平等のために戦っています。 しかしこの動きは男女平等を目指しておきながら、男性性崇拝の面も感じせられることがあります。「そんなひらひらしたスカートを履くなんて時代錯誤だ」「あなたみたいに既存の女性像にはまっている人がいるから女性の社会進出が進まないのよ」このような言葉を大学、インターン先で実際に聞くことが多々ありました。ヒラリーが「私はクッキーを家で焼くような女ではない」という発言をして郊外に住む家庭的な女性を的に回したことは記憶に新しいです。 女性が社会進出を目指して強さを求める反面、「女の子が好きなものが”好きな”女の子」に生きづらい社会になってきているのではないでしょうか。筋トレが趣味とは誇りを持って言えますが、お菓子作りが好きということはなかなか難しい雰囲気があるように思えます。女の子がかくの如く、いわんや男の子をや、です笑 男の子でフェミニンなものが好きという人への風当たりはさらに強いものでしょう。あいつはゲイなんじゃないかと一蹴されてしまうでしょう。「強い女性だね」は褒め言葉になりつつある一方、「彼はフェミニンだね」はまだまだ嘲笑の域を出ないように思われます。屈強な男性性、しなやかな女性性その二つが公平に理解されることによって初めて平等が達成されるのではないでしょうか。(またアメリカの田舎で育ったロリータ好きの女の子は教会で牧師さんや地元の人に服装を改めるように言われたそうです。アメリカの田舎もまた村社会…)

②マツコデラックスは偉大!?

アメリカには日本でいうマツコデラックスさんのような存在はほとんどいないと言ってもいいでしょう。最近ではNetflixなどでLGBTのタレントの方などが露出するようになってきましたがその歴史は新しいです。また彼らの著しく異なる点はcmへの起用です。私たちがマツコデラックスさんを目にするのはテレビ番組だけでなくその合間のcmや街中での広告でもあります。しかしアメリカでこれと同じことが起きるのは難しいことでしょう。なぜなら企業はマイノリティを起用することにより"私たちはマイノリティに理解があります"ということを示すことになり、それによってアメリカの大多数である共和党員からそっぽを向かれてしまうためです。日本ではマツコさんがcmに出ているというだけでキリンビールを飲むことをやめるという人はそんなにいませんよね笑 しかしアメリカではスポンサーにとって大きな損失を生み出します。アメリカン・アイドルの中盤においてアダム・ランバートがゲイであることを番組内でカミングアウトし保守派視聴者の票が離れ脱落したことを覚えている人も多いと思います。このようにアメリカでは今もマイノリティタレントは地位向上のため奮闘している最中であり、美輪明宏さんをはじめ美川憲一さん、先に述べたマツコデラックスさんなど"大御所"が日本のメディアに君臨しているの素晴らしいことではないでしょうか。テレビなどを通じて子供がおかまなどの差別用語を用いてしまうこともありますが、幼少期のうちからタブーにせずに触れさせていくことは大事だろうと思います。

③スキンケア・メイクなどについて

メンズのスキンケア、これも形而下では日本の方が一般に浸透しているように思われます。メンズスキンケアの商品も圧倒的に日本の方が品揃え豊富です。僕はもともと肌が綺麗ではなかったので化粧水と乳液を使って肌を整えてきました。ただアメリカ留学時のルームメイトのジャスティンはこれをやめるように言ってきました。その言い分は男はスキンケアなんてしないものだ、男が肌の手入れをするなんて変だというものでした。僕は特別彼にスキンケアを勧めたり、強要したりはしておらず自分が勝手に独りで行なっていただけなのですが彼はそれすらも嫌がっていました。男子だけでなく、女子でも男性のスキンケアを忌み嫌っている人は多くいました。  

またニキビ跡があったので目立つ時にはファンデーションとコンシーラーで簡単に消していた。これは日本でやってる友達多くも多く割と普通なことだと思っていました。しかしアメリカではかなり異質なことのようです。日本で同じことで悩んでいる友人に勧めたら喜んでやってみていたので心理的ハードルは低いと思われます。また自分はコスプレが趣味でアメリカでも様々なイベントに参加したのですが圧倒的に”着るだけこすぷれ”が多かったように思います。僕にメイクやってみたいと言ってくるアメリカの男の子は結構いたのですが、僕が「やってみたら」と言っても けれあーだこーだbrabraと言って結局やらないのを見るとどうしても心理的ハードルが高いのかと思います。メイクをすることをとても大げさに捉えているようにも思えました。他のアジア系の留学生たちとkpopのミュージックビデオを見ていたらPutting makeup is only for girls」と言ってきたアメリカ人の女の子を思い出されます。

④LGBTの境界・ LGBTだけが全て?

これを書いている僕自身はヘテロセクシャルです。ただ身なりは小綺麗にしようとはしてきました。髪はプリンにならないように定期的に染め、人に不快感を与えないように肌や爪もできる限りの範囲で手入れをしてきました。日本ではそんなことなかったのですがアメリカではゲイかときかれることが多かったです。これは僕だけではなく日本人の男性ならある程度ピンとくる話かと思います。 しかし「ううん、ゲイじゃないよ」と答えるとゲイみたいに見えるからやめろと言われることが多くこれには少しイラっとすることが多かったです。ゲイに見える=それは良くないことだのように聞こえたからです。ヘテロセクシャルにも善人も悪人もいることだし、ゲイは良くないというような考えにはある程度の反発が自分の中ではありました。ただ一度ゲイの人にニューヨークでナンパされた時に「ゲイじゃないなら紛らわしい真似しないでよ!」と怒られた時に先に言われたことの意味をちょっと理解できて少し悪い気持ちになりました。誤解を与えないようにという意味だったのかな。また話は変わって僕が好きな新宿二丁目には相談に来るOLや普通のサラリーマンなども混ざっていてある意味ガラパゴスでありとても面白かったと思いました。ただニューヨークのゲイバーはゲイのの人だけというように完全に分離されていものでした。アメリカで人種ごとに自然と住み分けが行われているように、ホモセクシャルとヘテロセクシャルの住み分けもされているように感じました。ある意味グレーな存在があまり存在しないのかなと思います。ゲイではないが可愛いものが好きだったり、綺麗でありたいという男子には幾分居心地が良くない雰囲気だとは思われます。あるアメリカ人に男の娘とは何かと聞かれ「女の子が好きであり、さらに自分もそれになりたいという究極的な女性性の肯定」という説明をしたら「It dosen't make any sense」と言われなかなか難しい概念ではあるなと思いました。 

上記に述べたことと共に一番アメリカでマスキュリニティを感じたのは先のジャスティンに毎晩腕相撲の相手をさせられたことです。詳しいことは省きますがジャスティンには好きな女の子がいましたが、その女の子がweaboo(日本好き)だったので僕に好意が向いていたことがありました。そのことがわかった途端ジャスティンはなぜか毎晩静かに腕相撲を要求してきました。僕はただもうどちらとも関わりたくないという思いを強めていただけでした笑

とはいっても日本も全く完璧ではありません。法的整備は整っておらず、パートナーとして受けれる権利もホモセクシャルというだけで全くと言って良いほど享受できません。また何より好きなパートナーと結婚できないというのは想像するに断腸の想いであることでしょう。(ただこの点に関しても憲法24条1項の"婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し・・・という文面はユダヤ系アメリカ人女性の教育家によって定められていますので結局はアメリカのせいでは・・・という思いが幾ばくかよぎってきます)

結局のところ日本も完璧ではないが、アメリカもまた完璧でないのではないと言うしかないのかもしれません。

ただ個人個人の性質によってどっちが合っている合っていないということはあると思います。

日本に帰国して最初に会ったジュノンボーイの友人が第一声で言ったことは「じゃあ浪漫くん!早速メンズリゼ行こっか」でした。

う〜ん やっぱり日本の方が気を張らずにいれて僕は楽かも笑

最後に留学を終えて思うこと

結局は良い悪いではなくて向き不向きだと思います。アメリカ留学をしてうまくいかなかったり被れられなかったとしてもそれは人間としての出来の悪さとかではなくただ自分に合ってないだけかもしれません。僕も学業と生活は普通にこなせていましたが別にアメリカにいることが好きで楽しいかと聞かれれば微妙です笑 なのでそんな僕が今思うことは今留学がうまくいっていなかったり、友達ができないからといって将来これからもうまくいかなかったり、人間として根本的な問題があるようなことは全くないと思います。僕の英語の先生は1歳から22歳までオーストラリアに住んでいても結局全く馴染めなかったそうです。今は日本で楽しく暮らしています。アメリカが合わないアメリカ人も中野のまんだらけなんかにたくさんいますしね笑

自分が一番落ち着く場所で、一緒にゆっくり生きていきましょう。


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