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猫は流れる。 【短い小説 #6】

「あ、あなた。それはイケマセン。おやめなさい」

 人通りの少ない青山通りを歩いているとそんな声が聞こえたような気がして、思わず足を止める。
「です。あなたです。ちょっとおいでなさい」
 右、左、とあたりを見回すと、歩道橋の影に半分ほど隠れて、オリーブ色のサファリハットっぽいものを被った小柄なおじさんがちょいちょい、と手招きしていた。小さな折りたたみの椅子に座ったおじさん、横に置かれている古びた革の旅行鞄には「占」の一文字が貼られている。

 以前だったら完全にスルーする場面だが、自分もご多分に漏れずやや人恋しくなっていたに違いない。思わずおじさんの方に寄っていってしまった。歩道橋の濃い影の中に入ると、ふっと温度が下がるのを感じる。
「わたしですか?」
「ソウソウ。あなた。かっちゃイケマセンよ、だめです」
「え?」
「猫。かおうと思ってるでしょ」
 そこで初めて、ぎくっとする。確かにわたしは猫が飼いたいと思っていた。それもここ1、2ヵ月くらいはほぼ毎日猫動画を見て、思わず身体をねじったりしているほどにその欲求が高まっているのであった。

 が、ぎくっとしてもわたしは動じない。なにしろ相手は“占い師”である。
「そんな人、腐るほどいると思いますけど」
「他の人の話はしてマセン。あなたの話なのです」
 と、占い師。きっちりとした言い切りに、むしろ自分の方が誤魔化そうとしたような気がしてくる。いや、これが相手の手か?
「いいですか、いま猫を飼ってはだめですよ。猫が反対しています」
「猫が反対?」
「そう。猫たちが」
 何言ってんだろ、と肩をすくめて通り過ぎてもよかった。というか、それが今までの普通だっただろう。でももう、世界は普通ではない。

「どういうことです? 猫を飼うと不幸になるとか、そういう話?」
「いいえ」
 目を細い線のようにして微笑んだおじさんは、もうひとつ小さな折りたたみ椅子を広げて、わたしに座るように促した。躊躇が無いわけではなかったが、好奇心は押さえられなかった。わたしの中で盛り上がって高まりきっている、猫を飼う話である。それに水を掛けるような話である。座る。
「いずれあなたも、猫飼うこともあるかもしれません。でも“いま”はだめです。ナゼナラ、あなたはまだ、猫とつながっていないのです」
 あ、しまった。
 電波だ。
 座ったことを激しく後悔した。

「あの、すみません、オカルトとかそういう話はちょっと……」
「もう少し聞きなさい」
 立ち上がりかけたわたしを制するように、おじさん占い師はなかなかシャープな口調でそう告げる。
「猫についてまだまだ知らなさすぎるのです、あなた。だからつながってない」
 ……神様。最近人間に当たり強くないですか? ちょっと誰かとリアルで喋ったらこのザマですか。
 頭の中で「ちーん」と御鈴の鳴る音がする。まあ、鳴らしてるのはわたしだけども。「ちーん」。やわらかいゴング。

「そう言われると、ますます飼いたくなる性格なんですよね」
「でしょうね」
 でしょうねって。この占い師、受けてたったな? そうなんだな? 不本意だがわたしも、ご多分に漏れずちょっと気が立っているのかもしれない。
「あなたがわたしの何を知ってるっていうんですか」
「いえ、ワタシはあなたのこと、知りませんね」
 ふははっ、と占い師が笑う。体温が頭の方で0.3度くらい上がる。
「でも猫たちは知ってる。あなたは猫のこと知らなさすぎる、そう言ってる」
「……おじさん、猫と話せるんですか?」
「スコシ違う。猫の言ってることがわかるだけ」
「猫の言ってることが? 猫が“この女、我々のこと全然わかってないのよね〜”と言ってるってこと? でも今、猫なんていないじゃないですか。どこにも。どの猫が言ってるんですか?」そう言って、わたしもふははっ、と笑う。
 するとまたおじさんが目を細めて言う。「ほらまだ、見えてもナイでしょ?」

 あー、電波電波。さあもう行こう。

 その時、折りたたみ椅子から立ち上がったわたしのふくらはぎを、一筋の温かな風がさらっと撫ぜるように通り過ぎる。そのやわらかさに、わたしは思わず足元を見る。なにもいない。
「どこにもいますよ。猫はね、なにしろハザマに出入りしておりますからね。ほら、その通りもよくゴランなさい」
 そう言って、おじさんが青山通りの方へ顔を向ける。「こんなに大きい通りなのに、何故か猫が好きね。今もいっぱい猫が流れているでしょう」
 片側3車線、計6車線の道路は順調に流れている、もちろん車が。次から次へとトラックや自家用車が走り去るそこには、一匹の猫の影もない。というか、いたら轢かれてる。ばかばかしい……と再び視線を戻そうとした時、わたしの目の片隅に無数の毛並みが見えた。

 え?

 青山通りの一面をみっちりと隙間なく埋め尽くす、様々な色の毛並み。後頭部とピクピクと動く無数の耳。白、黒、キジトラ、サバトラ、三毛……しなやかに動く小さな肩甲骨。すべて同じ方向を向いた猫が足音も無く、流れるように歩いていく。
 その流れの中に、わたしの足元近くから現れた小さな白猫の後ろ姿が飛び込んでいった。耳の先が茶色に滲んだ、小柄な猫。

 が、見えた気がして、目を見開く。
 ごおおっと、新橋行きの都バスの側面がわたしの視界を塞いだ。

「ちょっと見えマシタ?」
「……」
「猫はね。不思議な生き物ね。いつだって目の前にいるわけじゃない。いたり、いなかったりする」
「いたり、いなかったりする?」
「そう。猫、自由だから。ハザマも出入り自由。だからそれがわかってないと、一緒にいれないね。ただ、今、何かと一緒にいたい、ってだけじゃ、一緒にいれないね」

 ハザマ? そんな電波なこと、わたしにはわからない。けれど猫は自由っていうのはなんとなくわかる気がした。さっき足元に流れた風は、そっけないのに温かかったから。

「おじさん、何者?」
「ワタシ? 占い師。お代、三千円ね」
「えっ、今の占いなの!? お金取るの!?」
 しゃらっと言うおじさんの金額に、思わず声が大きくなる。同時に、車のタイヤがアスファルトを擦る音量も元の大きさに戻るのを感じる。
「冗談冗談。今のは猫の伝言、聞こえたこと言っただけだから」
 おじさんがまたふははっと笑いながら椅子から立ち上がった。
「ココラヘンも人通り、少なくなったね。別の場所に移るよ」
 背を向けて椅子をたたむおじさんに、しっぽは生えてない。でもあの帽子を取ったら耳でも生えてるんじゃないか? そう思ったところで、思いつきの電波風味にいやいやいや、と自分でつっこみを入れる。

 ドウモネ、と帽子のつばに手をあてて去っていくおじさんを見遣りながらわたしも逆方向へと足を踏み出す。強すぎる日差しの中に出ると、いままでいた歩道橋の日陰の奇妙なほどの心地よさと「猫は涼しい場所を探すのが得意」という、最近動画で見た豆知識を思い出した。やっぱり、あのおじさん、猫だったんじゃない? という再び電波な思いつきに振り返ると、おじさんの姿はもうどこにも見えなかった。
 わたしはポケットから出したスマホで時間を確認し、打ち合わせに少し遅れた言い訳をどうしようか考えつつ、猫は……当分動画にしとくか。と思った。



おわり。


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実家で最初に飼った猫は、知り合いが繁殖させたものの買い手がつかず引き取ったチンチラゴールデンでした。その後、実家では何匹も猫を飼っていますが、自分のなかで「猫」というと、その猫なんですよね。もちろん、どの猫もかわいいのですけども。

猫っぽくない、不思議な猫でした。人にはさわられたくないけど、人の状況に合わせて寄り添いにくるという。そっけないジェントルでした。わたしが家を出る1年前に病死しましたが、またいつか会えるといいなと思っています。

おかしかっていいですか。ありがとうございます。