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2121年 Futures In-Sight展に行った話

※2022年5月3日の私が書いたnoteです。編集したまま公開してませんでした。何も直さずそのまま後悔したのでぐちゃぐちゃですが、そんなぐちゃぐちゃさが見返していてなんか面白かったので載せときます。

こんにちは。今日は企画展に行ってきたので、忘れないうちにアウトプットしておこうと思います。

企画展の概要

 デザイナーやアーティスト、思想家、エンジニア、研究者など、あらゆる業界の参加者72名が、未来を思い描くだけでなく、現在を生きる私たちの所作や創り出すものに内在する未来への視座を可視化していくもの。※公式サイトより

企画展に興味を持ったのは何故?

まず私がこの企画展に興味を持ったきっかけ、単純にデザインが素敵だなあって印象のみ。
あとは、就活の自己分析という一番最初の時点でキャリアビジョンの壁にぶち当たったから。
「自分とは?」という問いに答えるためには、過去と現在、そしてそこから生み出されるであろう未来について考えなくてはいけない。過去を書き出してみても、現在の自分との繋がりが見えない。「こまった。過去も現在も、自分についてわからないならキャリアビジョンなんてなおさら無理だ。」なんて考えていた、、
もしかしたらこの企画展は、何か私に与えてくれるのかもしれない。行かないより行ってチャンスを得てみよう、そんな気持ちで行くことに。

未来に対する思考回路を整理

【企画展に行く前】
 キャリアビジョンに対して堂々巡りを繰り返し、何冊かキャリアビジョンについての本も読んだ。その上で、キャリアビジョン形成の方法として、現在から未来でできることを考える方法(フォアキャスティング)と未来のために現在できることを考える方法(バックキャスティング)の二つがあることを知っていた。そして後者の方が優位性の高いと、まるでバックキャスティングが絶対的であるように語っていた。
でも本当にそうなのか?どちらか極端でなければならないのか?私はバックキャスティングに味方する書物を読み進めて、疑問に思っていた。
確かに、未来→現在なら、現在の自分を想像しうる未来に向けて変化させることができる。けれどこれは、未来の可能性を一つに絞ってしまうことにもなるのではないか?
想像できるただ一つの未来なら、そもそも期待なんてしない。想像できない複雑さがあるからこそ、未来の可能性に期待してしまう。

様々な業界の未来に対する観点を見ていく

【民俗学】

民俗社会では、過去→現在→未来のフォアキャスティングが採用されている。常に未来に思いを馳せる、未来は明るいものであり必然であると、肯定し受け入れようとする態度。そして、必然の未来に縋ろうとする態度。
現在の想像によって未来は形成されていく。現在考え得ることのみが未来で実現されていく?予想不可能な未来は訪れないのだろうか?SF作品に多くの人が心惹かれるのは、その未来を望んでいるからなのだろうか?

【アーティスト】

時間の流れを考えてしまうのは、人間だからであって、それができるのは人間だけである。人間には、時間の流れを考える使命があるのかもしれない。だからこそ、今もなお、考え続けなければならない。

未来に対する思考回路の変化


【企画展に行った後】
アーティストも、音楽家も、芸術家も、研究者も、考え続けてるからこそ、常に最先端にいて、独自性があって、自ら未来を更新しているのだなと思った。
毎日スマートフォンの中の動画やゲームに目を向けて、無意識をただ待つだけの人生は、とても楽だった。今の今までの私がそうだった。インターネットは私に関心のあるものだけを集めてくれる。そこは、私の好きなものしか存在しない世界で、気に食わないものも、苦手なものも、理解し難しいものも、私自身に提示して取捨選択する機会すら与えてくれない。私自身の存在もきっとスマートフォンの中に閉じ込められてしまっている。
考え続ける人はきっと、自分の欲しいものを与えてくれるタブレットなんかじゃなくて、対立してでも新たな価値観を付加してくれる書物や、他者との対話に常に心を向けている。私は多分これからも普通の人間で、何かを成し遂げたり、名声を上げることなんてないんだろうと思う。分かりきっていても、どこか悲しく感じているのは、私自身の中でずっと他者と比較してしまう自分がいるんだと思う。誰かに認められたい、という意識。それだけで私は生きてきたような気がする。名前の知られた大学に行ったのだってそう。そこで何がしたいか、どう成長していきたいかなんて考えてなかった。自分で自分を認められるように。自分を好きになれるように。自分に自信が持てるように。たくさんチャレンジして、上手くいかなくて、でもいつかうまくいく何かに出会うまで、もがき続けたい。未熟な私が成長していく未来を、自分で作っていきたい。そう思った。自分を最後まで見届けられるのは、きっと自分だから。

まず一つ目として、アパレルのアルバイトを始めることにした。コミュニケーション力がなくて、人見知りで、初めて会う人とはなかなか話せないからこそ、やってみようという気持ちになった。何もしなかったら、多分一緒このままだと思う。でも、何かしてみたら、変わるかもしれない。そのためにはまず、人と話す機会増やそうと思った。会話がぎこちなくなって、接客がうまくいかなくて、失敗して、つらくてやめることになるかもしれない。逆に、もっと頑張ろうってなって、続けることでコミュニケーション力が向上するかもしれない。どっちに転がってもいいからやってみようかなあっていうノリ。
わくわく3割、不安7割。
でも成長したい気持ちは10割。気持ちがあればなんとかなる説を私は推してる。

さて、私は一体どうなっちゃうんだろう。

※追記 2023年4月9日の私。
もがいてる過去の自分が面白い。結局アパレルは申し込んだのに学生NGだった。募集要項に書いてなかったのに。そしてやる気はいつのまにどこへやら。

とにかくやりたいと思ったら応募しちゃうとこ、あるよね。それで無理だったら世の中そんなもんか、って考えちゃうクセ、あるよね。当時はこんな自分に気づいてなかったけど、今ならわかる。
成長意欲だけは愛変わらず。