「今日は、帰りが遅くなるっと」 茜はスマホのメッセージアプリを閉じると顔を上げる。 すっかり暗くなった空を見ていると家が無性に恋しくなる。 顔を前に戻し帰路を急ごうとするとメッセージアプリに通知があることを知らせる音がなる。 「なんで?」 葵からだ……なんでって、仕事が立て込んでいて片付けるのに時間がかかったからだ。文面から無表情の葵が浮かんでくる。 面倒やなぁ……。こういう文を送ってくる時の葵は構ってちゃんモードであり非常に面倒くさい。 「ごめんて」 逆効果にな
「ホワイトモカひとつ、トールサイズで」 葵が店員に告げる。 「お姉ちゃんは何にするの?」 「うーん……」 茜はさっきから唸っていた。 チェーンだが人気があるコーヒー店の列は、そこそこに長く、ここまで来るまでにそれなりの時間を要している。その間ずっと茜は今と同じように唸っていた。 茜の頭の中にはいくつかの選択肢が浮かんでいた。話題の新作……たまには紅茶……いやここはコーヒーを飲む場所なのだからコーヒーを……しかしホット……いやアイス……どちらを飲むにしても実に微妙な時期
「お姉ちゃんお姉ちゃん!」 葵が手のひらを合わせて器のようにしている。その中には何も入っていない。 「なんや?」 茜は首をかしげる。 「小さい春だよ!」 「何処にあるんや?」 「花粉……」 葵はボソッと恐ろしいことを言う。 「やめいやめい!」 茜は両手をバタバタさせて葵と距離を取った。 葵の笑顔に悪魔が見えた。
トナラー……この言葉はいつから流行りだしたのだろうか? そしてウチの横に常にある気配、これもトナラーなのだろうか? これこそがトナラーなのだろうか? 「な、なあ葵?」 「なぁに、お姉ちゃん?」 「ウチの横に何かいいひん?」 この質問は実は三回目だ。葵は笑顔になって「隣に居るのは私だけだよ」と言う。安心感に包まれたような錯覚がある慈悲深い笑顔だ。 しかしその笑顔が無くなると、やっぱりすぐに隣に気配がある。 深い怨念が…… 「怨念が……おんねん……」 ひとつ間を開けて葵
花見の準備を進める。 場所と時間、メンバーの段取りをしなければならない。食事の用意はあかりだろう。意外と……言えば失礼だろうが、おいしいモノをチョイスしてくれる。そこに茜を加えれば非常識なことにならないだろう。 場所や時間は葵の意見を聞く。今回はずん子やきりたんも来る予定だ。少し人数が増えるだけでこういった会合は手間が増える。新メンバーに負担を強いるわけにはいかないだろう。 よし、と心の中で考えをまとめ動き出す。
「お花見しますよお花見!」 ゆかりはテンアゲだった。茜はそれを見て疲れた顔をする。ゆかりと花見をすると準備をするのはあかりか茜の仕事だ。 「あぁ、うん……」 「元気が足りませんね! 絶対楽しいですからやりましょうよ!」 茜の気のない返事にも挫けない。 楽しいのは否定しないが、準備をする側の身にもなってほしい。ゆかりは絶対に楽しいだろう、しかし準備をする茜は楽しい部分だけを享受するわけではない。
「捕まえた! お姉ちゃん見てみて!」 葵の手の中には桜の花びらが握られていた。散っていく桜を捕まえたようだ。 「剣豪はお箸でなんとかって言うから、私も剣豪だね!」 珍しくはしゃぐ妹の姿に茜は目を細める。 「お箸じゃなくて手やん」 そんなんウチでもできるで、と茜は散る花びらのひとつに手を伸ばす。空気をかき混ぜないように静かに伸ばした手のひらの上に花びらが落ちる所を見ながらゆっくりと手のひらを閉じる。 葵の方を向くと自分と同じ顔が膨れっ面をしていた。 サッと伸ばした手を
「お姉ちゃん、手を出して」 葵がそんなことを言って握りこぶしを差し出してくる。 ウチはそれを受け取るような形で手を出した。 葵の手には何かが握られていて、拳を開けばそれが落ちてくるのだろう。古典的な遊びだ。 しかし葵の考えていることなど姉にはお見通し……いや見えていた。握られている拳からエビの尻尾のような物が見えていた。 茜は落ちてきたそれを優しく手のひらで受け止めて、大袈裟にならないように控えめに喜びの言葉を返した。